Diary ~あなたに会いたい~
 「僕は大丈夫。弓月こそ、遅いから何か
あったんじゃないかって、心配してたんだ」

 そう言いながら腰を下ろして隣を勧めると、
弓月は僅かに表情を硬くして頷いた。

 「ごめんなさい。ちょっと頭が重くて横に
なっていたの。すぐに起きるつもりでいたの
に、つい、うっかり……」

 こめかみを押さえながら、ぎこちなく笑っ
て見せる弓月の声は張りがない。

 無理に笑っているのだということは、鈍い
僕でもすぐわかった。

 「風邪、かな?昨晩は冷えたから」

 そっと弓月の額に手をあてる。
 触れた肌は確かに、いつもより少し熱い
気がした。

 「帰ろう。今日はもう休んだ方がいいよ」

 えっ、と僕を見た弓月の視線をかわして、
僕はトレーを手にこちらにオーダーを取りに
来た店員を手で制した。ピタリと足を止めた
店員に軽く頭を下げる。そして僕は弓月の手
を握った。

 「大丈夫よ、少しくらい。いま来たばかり
なのに……」

 寂しそうに弓月が僕を見上げている。
 一瞬、ポケットの中の決意を思い出して心が
揺れたけれど、僕は首を横に振った。

 「残念だけど、8時まであと少しだし、家まで
送るよ。行こう」

 送るも何も、この店から2軒先の弓月の家
までは歩いて30秒だ。どんなにゆっくり歩い
ても1分で着いてしまうだろう。

 僕は弓月の手を引いてレジに向かいながら、
可笑しくて口元を緩めた。
 たった、これだけの距離を進めずに僕は
1時間近くも悩んでいたのだ。

 店を出て弓月を迎えに行っていれば、
無理をして弓月がここに来ることもなかった
に違いない。
 自分の不甲斐なさに内心、ため息をつき
ながら、僕は支払いを済ませ店を出た。

 大通りに面したカフェのドアを背に左を
向くと、数十メートル先に弓月の花屋が
見える。

 夜空の下を行き交う車のライトが、秋色に
染まる街路樹を明るく照らしていて、歩道
まで眩しかった。
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