Diary ~あなたに会いたい~
 吸い込まれるように、弓月の背中が店の
奥へと消えていく。
 僕はただ、ガラス越しに弓月の姿を目で
追うことしか出来なかった。



-----いったい、何があったというのか?



 ほんの数秒前まで僕の隣にあった弓月の
顔を思い出しても、皆目見当もつかない。

 彼女が何に怯え、何から逃げたのか?

 その答えは、やはり弓月の口から聞く
しかなさそうだった。

 僕はひんやりと冷たいドアノブに手を掛け
て、誰もいない店の中に足を踏み入れた。

 キィ、と乾いた音をさせながら後ろ手に
扉を閉める。

 いつもなら明るい照明を浴びて生き生き
とそこにいる花たちが、夜の闇を吸い込ん
でひっそりと色を落としていた。

 僕は物音を立てないように息を潜めると、
白い壁に囲まれた薄暗い空間の中ほどまで
進んだ。



-----さて、どうしたものか。



 店の奥を見れば、この家と店とを繋いで
いるであろう扉があり、小さな小花型の
ライトがぼんやりと辺りを灯している。

 誰かを呼び出すためのインターホンは
その扉のどこにも見当たらず……

 考えてみても僕に選択肢はなかった。

 「すみません、あの……すみません!!」

 申し訳ないと思いながらも、僕は扉を
ノックしながら声をあげた。

 シンと冷たい静寂が僕の周りを包んで、
ごくりと唾を呑む。

 弓月に聞こえなかったのだろうか?
 奥に父親もいるはずだ。

 僕は躊躇いながらも、もう一度声をあげ
ようと、息を吸った。

 その時、扉の向こうに人の気配がして
カチャリとドアノブが回った。

 はっ、として一歩後ろに下がる。
 と、ドアの隙間から白髪交じりの男性が
顔を覗かせた。

 「……はい」

 返事をひとつして男性がじっと僕を見つ
める。落ち着いた印象のその人は、涼し気
な目元と細めの鼻筋が、どことなく弓月に
似ていた。



----弓月のお父さんだ。



 そう頭が理解した瞬間、僕は廊下に立た
されている子供のようにピンと背筋を伸ば
していた。

 「あの………夜分、突然すみません。遠野
と申します。弓月さんは、ご在宅でしょうか」

 “ご在宅”なのを十分承知の上で、僕は窺う
ように彼の顔を見た。
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