Diary ~あなたに会いたい~
 顔を上げて彼女の視線の先を辿れば、いくつ
もの人影がせわしなく狭い改札口に吸い込まれ
ていた。
 僕たちは無意識に足を止めると、やがて人波
を避けるように壁を背に並んだ。

 飲みかけのホットレモンを田辺さんが鞄に
しまう。僕は彼女の言葉を待ち、きつく口を
結んでいた。

 「あっという間に着いちゃったね。でも、
遠野くんと話せて良かった。来週で私、いなく
なっちゃうけど……いろいろ頑張ってね」

 「ありがとう。田辺さんも……頑張って」

 僕は目を細め、頷いた。

 来週から、田辺さんは産休に入る。
 これから約一年、彼女の代わりに入った、
ちょっと気難しいパートさんと、僕は一緒に
やっていかなくてはならない。
 入社時からずっと、不器用な僕を支えてくれ
た田辺さんが、こんな風に職場を離れる日が
来るとは………思ってもみなかった。

 どんなに平穏な日常が続いていても、自分を
取り巻く“状況”は確実に移り変わってゆくもの
なのかも知れない。

 良いことも、悪いことも、幸せなことも、
そうでないことも。
 きっと、いつまでも続かないのだ。

 そんなことを思って、くっ、と痛んだ胸を
隠すように、僕はコートの襟を寄せた。
 もう少しこのまま、彼女と話していたい気も
したが、晩秋の風は冷たく、大切な身体を冷え
させてしまうわけにもいかない。

 僕は腕時計に目をやって、田辺さんに言った。

 「寒いから。もう、行ったほうがいいよ。
電車が、来るみたいだ」



------カン、カン、カン、カン。




 ちょうど鳴り出した踏切の警戒音が、僕の声
に重なる。僕らのすぐ前を通り過ぎたビジネス
マンが、慌てたように足を速めた。


 「ほんとだ。ちょうどいいわ。もう行くね」

 「うん。気を付けて」

 「遠野くんも。じゃあ」

 ひらひら、と手を振って歩き出した田辺さん
の背中を見送る。

 そして、すっかり冷たくなってしまった両手
を、ポケットに入れた。
 
 まだ、熱いコーヒーが手の平に触れる。
 早く。この熱が冷めてしまわないうちに、僕は
弓月のもとへ行かなければならない。
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