Diary ~あなたに会いたい~
「弓月さんは、いま……」
「ああ。あの子なら、出かけていていないん
です。戻るまで、もうしばらくかかると思いま
すから」
まるで、弓月の不在をこれ幸いとでも言いたげ
な口ぶりでそう言って、壁の時計に目をやる。
やはり、彼女に口止めされていたのだと確信す
れば、また胸がずしりと重かった。
そんな僕の胸の内を知ってか知らでか、父親が
どうぞ、と、微笑して店の奥へと向かう。
僕は、小さく頷いて後に続いた。
-----その時だった。
レジの横に置いてある店の電話がプルルルッ
と、着信を告げた。
はっと父親が振り返る。
僕は目の前で着信を告げる電話の赤い点滅に
嫌な予感を覚えながら、振り返った父親に頷い
た。
「失礼」
3度目の呼び鈴が鳴る前に、父親が受話器を上げ
る。僕は窓の外を眺めつつ、じっと耳を澄ました。
「はい。アンフルール杉村です」
父親が愛想よくそう答えると、受話器から微か
に声が漏れて聞こえた。
相手は女性のようだ。
会話の内容まではわからない。
けれど、電話の相手が花屋の客ではないことは
すぐにわかった。
「………はい、そうですが。あの……えっ、
弓月がですか?」
父親の顔色が一変した。
受話器を握りしめたまま、僕の顔を凝視して
いる。
僕はすぅ、と血の気が引くような感覚に抗いな
がらカウンターに歩み寄ると、冷たくなった右手
をポケットに入れた。
そこにはもう、ふたりを温めたあの夜の温もり
はなかった。
-----どんなことでも、受け止める。
そう口にしたことを、僕は後悔しないと言える
だろうか?
「いったい、何から話せばいいかわかりません
が……弓月がこうなってしまった原因は、すべ
て、私にあると思っています」
午前の診療を終え、誰もいなくなったクリニッ
クの小さなラウンジで、父親は深いため息をつい
た。
僕は項垂れたまま、目の前の紙コップをずっと
見つめている。
頭の中は、説明できない感情が渦巻いていて、
とても言葉を発せる状態ではなかった。
茜色の夕陽が射し込むラウンジには、僕と父親
と、そしてもうひとり。
僕の隣に男が座っている。
初めて会うその男は、すらりと背が高く、誰も
が好感を持ちそうな青年で、
-----名を、永倉恭介と言った。
あの電話は、弓月が以前から通院しているとい
う、メンタルクリニックからだった。
「弓月が倒れた」
と知らせを受け、僕は訳もわからぬまま、動揺す
る父親と共にクリニックへと向かった。
閑静な住宅街の中心にあり、黒を基調とした
シックな造りのクリニックの入り口をくぐると、
すぐに2階の病室に通された。
そこで目にしたのは、真っ白なベッドに青白い
顔をして横たわる、弓月の姿だった。
僕は、瞬間、弓月の元へ駆け寄りたい衝動を
ぐっと抑え、病室の入り口に留まった。
隣に立つ父親の異変に気付いたからだ。
ベッドの傍らに白髪の医師と看護婦、部屋の
窓側の椅子には見知らぬ男が腰かけている。
そして、その男の顔を見た瞬間、父親は、
まさか、と大きく目を見開いていた。
「ああ。あの子なら、出かけていていないん
です。戻るまで、もうしばらくかかると思いま
すから」
まるで、弓月の不在をこれ幸いとでも言いたげ
な口ぶりでそう言って、壁の時計に目をやる。
やはり、彼女に口止めされていたのだと確信す
れば、また胸がずしりと重かった。
そんな僕の胸の内を知ってか知らでか、父親が
どうぞ、と、微笑して店の奥へと向かう。
僕は、小さく頷いて後に続いた。
-----その時だった。
レジの横に置いてある店の電話がプルルルッ
と、着信を告げた。
はっと父親が振り返る。
僕は目の前で着信を告げる電話の赤い点滅に
嫌な予感を覚えながら、振り返った父親に頷い
た。
「失礼」
3度目の呼び鈴が鳴る前に、父親が受話器を上げ
る。僕は窓の外を眺めつつ、じっと耳を澄ました。
「はい。アンフルール杉村です」
父親が愛想よくそう答えると、受話器から微か
に声が漏れて聞こえた。
相手は女性のようだ。
会話の内容まではわからない。
けれど、電話の相手が花屋の客ではないことは
すぐにわかった。
「………はい、そうですが。あの……えっ、
弓月がですか?」
父親の顔色が一変した。
受話器を握りしめたまま、僕の顔を凝視して
いる。
僕はすぅ、と血の気が引くような感覚に抗いな
がらカウンターに歩み寄ると、冷たくなった右手
をポケットに入れた。
そこにはもう、ふたりを温めたあの夜の温もり
はなかった。
-----どんなことでも、受け止める。
そう口にしたことを、僕は後悔しないと言える
だろうか?
「いったい、何から話せばいいかわかりません
が……弓月がこうなってしまった原因は、すべ
て、私にあると思っています」
午前の診療を終え、誰もいなくなったクリニッ
クの小さなラウンジで、父親は深いため息をつい
た。
僕は項垂れたまま、目の前の紙コップをずっと
見つめている。
頭の中は、説明できない感情が渦巻いていて、
とても言葉を発せる状態ではなかった。
茜色の夕陽が射し込むラウンジには、僕と父親
と、そしてもうひとり。
僕の隣に男が座っている。
初めて会うその男は、すらりと背が高く、誰も
が好感を持ちそうな青年で、
-----名を、永倉恭介と言った。
あの電話は、弓月が以前から通院しているとい
う、メンタルクリニックからだった。
「弓月が倒れた」
と知らせを受け、僕は訳もわからぬまま、動揺す
る父親と共にクリニックへと向かった。
閑静な住宅街の中心にあり、黒を基調とした
シックな造りのクリニックの入り口をくぐると、
すぐに2階の病室に通された。
そこで目にしたのは、真っ白なベッドに青白い
顔をして横たわる、弓月の姿だった。
僕は、瞬間、弓月の元へ駆け寄りたい衝動を
ぐっと抑え、病室の入り口に留まった。
隣に立つ父親の異変に気付いたからだ。
ベッドの傍らに白髪の医師と看護婦、部屋の
窓側の椅子には見知らぬ男が腰かけている。
そして、その男の顔を見た瞬間、父親は、
まさか、と大きく目を見開いていた。