腹黒天才ドクターは私の身体を隅々まで知っている。
異変
思えば、この日からおかしなことがいくつか起きていた気がする。
「ううっ……気持ち悪い……」
私はあの日を境にどんどん体調が悪くなっていった。一日中気分が悪くて、朝もなかなかベッドから起き上がることができない。
引越しの日の夕方に届いた新品のダブルベッドに横たわったまま、私はウォークインクローゼットから取り出したスーツを身に付けている航大を見る。
「ごめん、航大……今日も無理みたい……」
「はぁ……またかよ」
航大に冷たく溜息をつかれ、調子の悪い胃がさらにきゅっとなる。
あんなに優しかった彼は、引っ越してからというものまるで人が変わったかのように私に冷たくなった。
それだけではない。
「痛っ……」
口の端にピリッとした痛みが走る。昨日私の体調のことで航大と喧嘩をして、その時に彼に手を上げられたのだ。
そんなことは初めてだったから、私は痛みよりも精神的なショックの方が大きかった。
「はぁ……」
そりゃ結婚を控えて退職した途端、家事もままならず具合が悪いと言って寝てばかりいる私も悪いと思う。昔から料理だけは得意で航大も私のごはんをいつも喜んでくれていたけど、最近はもっぱらコンビニご飯ばかり。でも、何も殴ることはないだろう。しかもグーで。
「溜息つきてぇのはこっちだよ……」
今日になったら頭を冷やして謝ってくれるかなと思ったけど、航大は相変わらず不機嫌な顔のままだった。
「……じゃあ、俺行くから」
それだけ言って、航大は私の顔も見ずにマンションの部屋を出ていった。
「うぅ……ぐすっ……」
航大がいなくなると、耐え切れなくなって思わず嗚咽が漏れた。
これから結婚して幸せになるはずだったのに、なぜ……。何だか自分が情けなくて、不安で、泣けてきてしまった。
私、何か悪い病気なのかな……。
引越ししてから既に一ヶ月以上が経過している。もうすぐゴールデンウィークに入るし、今日のうちに近所のクリニックにでも行ってみよう……。
善は急げ。
こんなにしんどい状態で長く待たされるのは嫌なので、さっそく今から準備してクリニックに向かうことにする。
その時、浴室の方からカタンと音がした。その後すぐ、シャワーが勢いよく出る音。もちろん、航大は既にマンションを出ておりこの家には私しかいない。
またか、と思った。
これもおかしなことの一つ。そして私がとっても恐れていること。
浴室に、誰かがいる。
はっきりと何かを見たわけじゃない。私は霊感もないし、いわく付きの部屋によくある『変な雰囲気』とかも最初にこの部屋を訪れた時から何も感じなかった。
でも、今みたいに勝手に洗面器が落ちたり、シャワーが出たり、電気が着いたり。
そしてお風呂に入ると、じーっと誰かに見られているような視線。あまりにもはっきりと感じるものだから、最初は航大が覗いているのかと思ったくらい。
でも、振り返っても、誰もいない。
私は溜息をついて、重い身体を引き摺りながら浴室へ行くと、シャワーの栓を締める。
そのまま財布とスマホだけ持って、玄関のドアを開けた。