離婚するので、どうぞお構いなく~冷徹御曹司が激甘パパになるまで~
 確かに一度、彼が教室にたまたま少し顔を見せた時は、いつもおしとやかな生徒さんが黄色い悲鳴をあげていたくらいだった。
 生徒さんだけならまだしも、そういえばあの人はうちの流派でも人気のある御曹司だったんだ。いったい誰が彼と婚約するのかと、彼がまだ学生のうちから親族間で噂され、ヒリついていたのをよく覚えている。
「また黎人さんと同棲を再会されるんですよね? 花音様と小鞠お嬢様がここを出てしまわれるのは寂しいですが……」
「そ、それはちょっと彼の仕事も見ながら相談ですかね……? すみません小鞠がそろそろ起きる頃なので……」
 まずい。これ以上掘り下げられると、顔に出てしまいそうだ。
 そう思った私は、適当に理由をつけて村田さんからそろっと逃げ出す。
 小鞠が眠る部屋に入った途端、ふぅっと安堵のため息が思わず漏れる。
 色んな人を騙しているようで、心が痛い……。早く離婚を成立させて堂々小鞠と暮らしたい。
 なんて思っていると、鬼気迫った様子の母親が突然部屋にやってきた。
「花音、今日はお稽古はない日よね!」
「ど、どうしたのお母さん、小鞠が起きちゃうっ」
「ちょっと廊下に!」
 滅多に大声を出すことのない母親がこんなにも焦っている。
 ただ事ではないことを察して、私は小鞠に布団をかけなおしてから廊下に出た。
 ん? よく見るとなんだか、お母さんの顔の角度がおかしいような……。
「朝起きたら首寝違えちゃって……いたた、この角度から動かないのよ」
「ええっ、大丈夫……!?」
「三鷹ホテルさんとこの、新規オープンに向けたお花、代わりに生けてきてくれない?」
「えっ! 私が? そんな急に……」
「小鞠ちゃんは私が責任もって見ておくから。だから頼んだわ、お願い花音、いたたた」
 三鷹ホテルの新規オープン……。立ち合いには黎人さんもいるのだろうか。一瞬そんなことが頭をよぎったけれど、そんな私情と仕事は関係ない。ここでドタキャンなんてしたらうちの名前に傷がつく。
 まだ経験の浅い私がそんな大役を担ってもいいのか不安になったけれど、本当に痛そうにしている母を見て腹をくくった。
「わ、分かった。小鞠をよろしく……!」
 私はすぐに着物に着替えて、運転手さんに現場まで運んでもらった。
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