離婚するので、どうぞお構いなく~冷徹御曹司が激甘パパになるまで~
 恐ろしいほどに美しい顔が、月明かりに照らされている。
「お前の笑顔を初めて見たら、止まらなくなった」
 そう言って、黎人さんも、私に向けて初めて笑顔を見せる。
 本当に僅かだけ口角が上がり、目の色が優しい色になっていく。
「な、何を言ってるんですか……」
 小鞠が生まれる前の黎人さんと、今の黎人さんは、全く別人のようだ……。
 いったい、どうして? 別れを告げたから惜しくなった? ううん、そんなはずがない。黎人さんは文化人の血筋なんて微塵も興味がない人だ。
 気持ちが、混乱していく。いったい、どの黎人さんが本物なのか、分からなくなる。
「り、離婚するのに、キスする必要なんて、ありません……」
 冷たく言い放った言葉とは裏腹に、顔がなぜか熱い。
 そんなつもりは全然ないのに、心拍数がどんどん上がっていく。
 嫌だ。黎人さんを意識なんかしたくないのに――。
「……あまり庇護欲を搔き立てる顔をするな」
「きゃっ……」
 今度は景色が一八〇度変わって、彼の美しい顔のうしろには、木製の天井が見えた。
 驚きすぎて、押し倒されたことを理解するには、数秒かかってしまった。
 私はすぐに抵抗するも、手首をがっしりと掴まれているせいで、身動きが取れない。
「黎人さん、やめてっ……、なんでこんな……」
「この前も言ったが、離婚はしない。誰にも渡さない」
「んっ……」
 本気で抵抗できない自分が悔しい。一度は本気で惚れてしまった相手だから?
 自分の意志はこの程度だったのだろうかと思うと、歯を食いしばりたくなる。
 黎人さんの本当の気持ちが読めなくて……、怖くて、じわっと涙が滲んできた。
 それに気づいた黎人さんは、ようやくキスを止めた。
「最低……っ」
 一瞬の隙を突いてそう言い捨て、私は彼の頬を強く叩いてから、自分の布団の中にもぐりこんだ。
 埋めることのできない溝が、まだ私たちの中にあるのだと、確信した夜だった。

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