俺様御曹司は無垢な彼女を愛し尽くしたい
奈々は倉瀬と目が合うと、ドキッと心臓が音を立てた。だがすぐに全身から血の気が引いていく思いがした。倉瀬の隣には綺麗な女性が何やら親しげに話しかけていたからだ。
見てはいけないものを見てしまった気がして、奈々はすぐに目をそらす。そしてそのまま踵を返して小走りでその場を去った。
ドキンドキンと心臓がうるさいくらいに音を立てる。あれは一体何だったのか。
(……倉瀬さんの彼女)
そうとしか思えなかった。
心臓が痛い。だったら何だというのだろう。倉瀬に彼女がいたって何も問題はないではないか。
(……何で動揺してるの?)
奈々は胸のあたりをぎゅっと押さえる。ドキドキと不快に脈打つ鼓動は治まることを知らないようだ。
嫌なものを見てしまった。
その一言に尽きる。
奈々の頭に過るいつか聞いた噂。
態度が大きく口も悪いのに容姿端麗で密かに人気のある倉瀬祐吾。あの甘いマスクで女には苦労せずとっかえひっかえの遊び人なのだとか。
やはり噂は本当だったのだろうか。
奈々は小さく首を横に振る。倉瀬の横に綺麗な女性がいることを自分の目で見てしまったのに、信じたくない気持ちでいっぱいだ。
(だって倉瀬さんは……)
短い時間ではあるが、奈々が見てきた倉瀬は仕事に対して常にひたむきで厳しくて、でも時には優しい、まわりのことをよく見ている人だった。
案外悪い人ではない。むしろとても素敵な人なのではないかとさえ思うようになっていたあの日、奈々は倉瀬から突然キスをされた。すぐさま「セクハラです!」とひっぱたいた奈々だったが、心は裏腹に倉瀬を意識している自分がいることに気付いていた。
あの時のキスの理由も聞けないままお互いなかったことのように過ごしていたが、これでようやく合致する。
やはり噂通り倉瀬は遊び人で女にだらしがなく、奈々へキスしたことも気まぐれだったのだろう。
一人モヤモヤし疼く胸を抑えていたのは奈々だけだったのだ。
(……バカみたい)
遊ばれた悔しさが体の奥から込み上げてきて鼻の奥がツンとしてくる。嫌な気持ちを振り払うため頭をブンブンと振ってみるが、全くもって無意味だった。
倉瀬と腕を組んでいた彼女はとても甘えた様子だった。
その光景が目に焼き付いてしまって消すことができず、奈々は深くため息をついた。見たくなくて思わず逃げたことに、激しく後悔の念がわく。
「私と倉瀬さんは何でもないんだから」
口に出してみると、より一層虚しさが大きくなった。
倉瀬は奈々にキスをしたが、その後は何もない。謝罪はおろか言い訳すらしない倉瀬の気持ちがわからない。
(私、遊ばれたんだわ)
倉瀬にとっては奈々もたくさんいる女の中の一人でしかないのだろう。
だから本気にしてはいけない。
勘違いしてはいけない。
そう言い聞かせるのにモヤモヤと膨れ上がるこの気持ちは何なのか、奈々には理解できなかった。