可愛すぎてつらい
14.僕のお姫様
チェルシーの乗ってきた馬車は、マリーを乗せて先に屋敷へと帰ってもらった。二人はフレッドの馬車に向かい合わせで座っている。
騎士団を出てから暫し無言が続く。そりゃそうだ。二人は元々そうそう会話があるわけでもない。沈黙が続くことだってよくある。大概はチェルシーが耐え切れずに逃げるように離れるので、この逃げられない状況というのは居心地が悪い。
けれどあの『チェルシーが可愛すぎてつらい』という紙を見つけて、さらに昨晩のことが影響しているからだろうか。たとえ会話一つなかったとしても、フレッドと一緒にいるという事実がいつもより自然に思えた。
ちょうど一つの部屋で弟は本を読み、チェルシーは刺繍をして、互いに無言でも気にならないのと似ている。血のつながりはないけれど、寝食を共にする家族であるのだから同然なのかもしれない。けれどそれよりも、ずっと甘い。寄り添って、ぴったりとくっついていたいような。
チラリと目の前のフレッドを盗み見る。
彼は窓枠に肘を置き、難しそうな表情で景色を眺めていた。騎士団でなにか難しいことでもあったのだろうか。仕事のことは何も分からないし、世間知らずの小娘であるチェルシーでは何も力になれないのは当然だが、それが少し寂しかった。話だけでも聞かせてくれたらいいのに、なんて。
そんな自分に驚く。今までフレッドの日常を気にしたことなどなかったのだから。
陽の光に反射して、アッシュブラウンの髪はいつもよりも明るく見える。あの髪の毛は見た目は柔らかそうで、しかし意外と硬めなのだ。チェルシーの服で隠れている肌の柔らかな部分を這う、毛先のチクチクとした感触は昨晩何度も感じた。そして何度もこの手でその髪をかき混ぜるように触れたのだ。
(猫の毛のように柔らかそうなのにね)
もう一度、フレッドの髪全体を眺めて、チェルシーは気付いた。
「フレッド様、寝ぐせが……」
いつも整えられている彼の側頭部の毛束がピョンと跳ねている。珍しいこともあるものだ。
沈黙の落ちる馬車の中で、しかももう既に街に入り路面は舗装されていて、タイヤの音も然程煩くなかった。だから思わず口に出してしまった言葉は小さかったけれど、十分フレッドに届いたようだ。
フレッドはハッとした表情をチェルシーに向け、そして髪に手をやった。迷いなくそこに手を伸ばしたところを見ると、彼は寝ぐせを知っているらしい。
「ああ、これは……。直す時間がなくてだな」
そこでチェルシーはサマンサの言葉を思い出した。寝ぐせを付けたまま慌てて出て行ったと。
「そうでした、お母様から聞きましたわ。珍しいですね、寝坊だなんて」
「みっともないところを見せたな」
少し目線をうろつかせたフレッドは、跳ねたその毛束を指で摘まんでいる。その姿は拗ねているようで、思わずチェルシーからフフと笑みが零れた。
「いえ、みっともないだなんて。そういうフレッド様のほうが好きですわ」
「好き……?」
目の前でモジモジと指で遊ぶ妻の様子があまりにも可愛すぎて、眉間を寄せてしまったのだが、それを見たチェルシーはもちろん誤解をした。
「あ、えっと。別に普段が、その、ダメとかいうわけじゃなくて……!申し訳ありません。失礼なことを……」
眉尻を下げたチェルシーにフレッドは我に返った。彼女が『好き』という言葉をフレッドに放ったことに対して反応してしまっただけで、深読みなどしていなかった。それ以前に愛しいチェルシーと二人きりで馬車に乗っているという事実に浮かれていたのだ。
直視するとずっと見てしまいそうで、窓の外を眺めて気を紛らわせていただけ。窓に映るチェルシーを盗み見ていたわけではない。決して。
それよりも何とかして彼女の憂慮を取り除いてやらねばならない。フレッドがチェルシーに対し、不愉快に思うことなど有り得ないのだから。
「そうじゃなくて。君が気にすることは何もない。昨晩、私が浮かれていたせいだ。眠るのも遅かったし、珍しく熟睡してしまったから……」
言いかけて気付く。昨晩のことを話題にしてしまったことに。
ボボッと頬だけでなく、首から上を赤く染め上げたチェルシーに、フレッドも顔が熱くなるのを感じた。
「「……」」
再び馬車に沈黙が落ちる。しかし先ほどよりも居た堪れない。
「あの、嫌じゃありませんでしたか?」
しかし沈黙を破ったのはチェルシーだった。どうしても聞きたかったことがあったが、今まで聞くタイミングを掴めずにいたのである。
「え?」
「前にも一度伺ったのですが、フレッド様は触れ合うのがお好きじゃないと思っていたので。もしお嫌だったなら、寝室を別にしていただいても構いません……キャッ!」
チェルシーが言い終わるが早いか、フレッドが馬車で立ち上がった。しかし完全に立ち上がることは叶わず、中腰になりそのままチェルシーの前に跪いた。そしてソワソワと遊んでいたままの彼女の手を取る。
「チェルシーがどうしても嫌だというなら仕方がないが、そうでないならどうか寝室はそのままで……。確かに他人と触れ合うのは苦手だが、君だけは特別だから」
窓から差し込む光がスポットライトのようにフレッドに当たり、整った容姿も相まって彼はまるで舞台の俳優のようだ。チェルシーは舞台の恋物語が大好きで、友人やサマンサと観に行ったことが何度かある。その時の、自分が主人公になったかのような高揚感。しかし今はそれよりも心臓が大暴れしている。
見慣れていたので忘れていた。フレッドはとても見目麗しい。
(素敵……。フレッド様……あら?)
完全に逆上せあがった頭に、ふと過る既視感。昔もこうして誰かに跪いて手を取られた。それがお姫様のようで嬉しかった幼い日の記憶。
頭が真っ白になったからこそ気付けたのかもしれない。
そうだ、その男の子もアッシュブラウンの髪だった。今みたいに真ん中では分かれていなかったけど。
『チェルシーはずっと僕のお姫様だ』
確かにまだ高い声の少年はそう言っていた。
騎士団を出てから暫し無言が続く。そりゃそうだ。二人は元々そうそう会話があるわけでもない。沈黙が続くことだってよくある。大概はチェルシーが耐え切れずに逃げるように離れるので、この逃げられない状況というのは居心地が悪い。
けれどあの『チェルシーが可愛すぎてつらい』という紙を見つけて、さらに昨晩のことが影響しているからだろうか。たとえ会話一つなかったとしても、フレッドと一緒にいるという事実がいつもより自然に思えた。
ちょうど一つの部屋で弟は本を読み、チェルシーは刺繍をして、互いに無言でも気にならないのと似ている。血のつながりはないけれど、寝食を共にする家族であるのだから同然なのかもしれない。けれどそれよりも、ずっと甘い。寄り添って、ぴったりとくっついていたいような。
チラリと目の前のフレッドを盗み見る。
彼は窓枠に肘を置き、難しそうな表情で景色を眺めていた。騎士団でなにか難しいことでもあったのだろうか。仕事のことは何も分からないし、世間知らずの小娘であるチェルシーでは何も力になれないのは当然だが、それが少し寂しかった。話だけでも聞かせてくれたらいいのに、なんて。
そんな自分に驚く。今までフレッドの日常を気にしたことなどなかったのだから。
陽の光に反射して、アッシュブラウンの髪はいつもよりも明るく見える。あの髪の毛は見た目は柔らかそうで、しかし意外と硬めなのだ。チェルシーの服で隠れている肌の柔らかな部分を這う、毛先のチクチクとした感触は昨晩何度も感じた。そして何度もこの手でその髪をかき混ぜるように触れたのだ。
(猫の毛のように柔らかそうなのにね)
もう一度、フレッドの髪全体を眺めて、チェルシーは気付いた。
「フレッド様、寝ぐせが……」
いつも整えられている彼の側頭部の毛束がピョンと跳ねている。珍しいこともあるものだ。
沈黙の落ちる馬車の中で、しかももう既に街に入り路面は舗装されていて、タイヤの音も然程煩くなかった。だから思わず口に出してしまった言葉は小さかったけれど、十分フレッドに届いたようだ。
フレッドはハッとした表情をチェルシーに向け、そして髪に手をやった。迷いなくそこに手を伸ばしたところを見ると、彼は寝ぐせを知っているらしい。
「ああ、これは……。直す時間がなくてだな」
そこでチェルシーはサマンサの言葉を思い出した。寝ぐせを付けたまま慌てて出て行ったと。
「そうでした、お母様から聞きましたわ。珍しいですね、寝坊だなんて」
「みっともないところを見せたな」
少し目線をうろつかせたフレッドは、跳ねたその毛束を指で摘まんでいる。その姿は拗ねているようで、思わずチェルシーからフフと笑みが零れた。
「いえ、みっともないだなんて。そういうフレッド様のほうが好きですわ」
「好き……?」
目の前でモジモジと指で遊ぶ妻の様子があまりにも可愛すぎて、眉間を寄せてしまったのだが、それを見たチェルシーはもちろん誤解をした。
「あ、えっと。別に普段が、その、ダメとかいうわけじゃなくて……!申し訳ありません。失礼なことを……」
眉尻を下げたチェルシーにフレッドは我に返った。彼女が『好き』という言葉をフレッドに放ったことに対して反応してしまっただけで、深読みなどしていなかった。それ以前に愛しいチェルシーと二人きりで馬車に乗っているという事実に浮かれていたのだ。
直視するとずっと見てしまいそうで、窓の外を眺めて気を紛らわせていただけ。窓に映るチェルシーを盗み見ていたわけではない。決して。
それよりも何とかして彼女の憂慮を取り除いてやらねばならない。フレッドがチェルシーに対し、不愉快に思うことなど有り得ないのだから。
「そうじゃなくて。君が気にすることは何もない。昨晩、私が浮かれていたせいだ。眠るのも遅かったし、珍しく熟睡してしまったから……」
言いかけて気付く。昨晩のことを話題にしてしまったことに。
ボボッと頬だけでなく、首から上を赤く染め上げたチェルシーに、フレッドも顔が熱くなるのを感じた。
「「……」」
再び馬車に沈黙が落ちる。しかし先ほどよりも居た堪れない。
「あの、嫌じゃありませんでしたか?」
しかし沈黙を破ったのはチェルシーだった。どうしても聞きたかったことがあったが、今まで聞くタイミングを掴めずにいたのである。
「え?」
「前にも一度伺ったのですが、フレッド様は触れ合うのがお好きじゃないと思っていたので。もしお嫌だったなら、寝室を別にしていただいても構いません……キャッ!」
チェルシーが言い終わるが早いか、フレッドが馬車で立ち上がった。しかし完全に立ち上がることは叶わず、中腰になりそのままチェルシーの前に跪いた。そしてソワソワと遊んでいたままの彼女の手を取る。
「チェルシーがどうしても嫌だというなら仕方がないが、そうでないならどうか寝室はそのままで……。確かに他人と触れ合うのは苦手だが、君だけは特別だから」
窓から差し込む光がスポットライトのようにフレッドに当たり、整った容姿も相まって彼はまるで舞台の俳優のようだ。チェルシーは舞台の恋物語が大好きで、友人やサマンサと観に行ったことが何度かある。その時の、自分が主人公になったかのような高揚感。しかし今はそれよりも心臓が大暴れしている。
見慣れていたので忘れていた。フレッドはとても見目麗しい。
(素敵……。フレッド様……あら?)
完全に逆上せあがった頭に、ふと過る既視感。昔もこうして誰かに跪いて手を取られた。それがお姫様のようで嬉しかった幼い日の記憶。
頭が真っ白になったからこそ気付けたのかもしれない。
そうだ、その男の子もアッシュブラウンの髪だった。今みたいに真ん中では分かれていなかったけど。
『チェルシーはずっと僕のお姫様だ』
確かにまだ高い声の少年はそう言っていた。