再会の先にあるもの
「あはは!おばさんらしいわ!」
ウーロンハイのジョッキを片手に、莉子は大きな口を開けて笑っている。仰る通りすぎて、反論する気も起こらない。
「素敵な人だったね。羽菜ちゃんはお母さん似かな?」
「……素敵かどうかは分かりかねますが、よく言われます」
さすがエリート。上手く持ち上げてくれる。しかし恥ずかしすぎて、羽菜は梅酒のソーダ割をチビチビと飲みながら表面をただ見つめるだけだ。横に座る伊織のほうはとてもじゃないが見られそうもない。
ところで莉子と伊織は兄妹であるし、羽菜は莉子の親友だ。そして伊織と羽菜の直接の繋がりはない。
なのに何故、羽菜と伊織が隣同士で座っているのか?
店に着いた時には既に莉子が居たので、羽菜は彼女の横に伊織が座るものだと思い、向かいに座った。それなのに何故か彼は羽菜の隣に座ったというわけだ。水を持った店員がすぐ傍にいたから、とりあえずさっさと座ったのだろうとは思うけれど。
座る場所の違和感に小さく慌てる羽菜だったが、莉子も伊織も気付くことはなく、その状態のまま今に至る。
鉄板焼き屋だから匂いはそれなりにある。なのに時折いい匂いが鼻腔をくすぐるのは何故か?
家で咄嗟に付けた自身の練り香水の匂いではないことぐらいわかる。車で送ってもらった日から鼻が覚えている、コロンなのか整髪料なのか分からない爽やかな伊織の香りなのだから。
——あまり深く気にするのは止めよう。引き返せない事態にはなりたくない。
「うう、母がとんだご迷惑を……。話し好きなものですから」
「気にすることないよ。聞かれて困ることは何もないからね」
優しい言葉が胸に染みる。けれどめちゃくちゃ気にします、すいません。やっぱりまだ顔は上げられない。
「なんか二人、いい雰囲気ね」
ボソリと落とされた莉子の言葉に、驚いた羽菜は漸く梅酒から顔を上げた。
「え?」
「だから羽菜とお兄ちゃん、いい感じじゃない?と思って」
「な、な、な!!」
母が核心を突く前に逃げてきたというのに。伏兵がこんな身近にいたなんて。
「はは、嬉しいなぁ」
「え……」
(嬉しい?いい感じだと言われて嬉しいなんて。それって……)
伊織の言葉をつい自分に都合がいいように解釈してしまいそうになる。憧れだ、ファンだと言い聞かせていた心のメッキが剥がれそうだ。なんせ初恋なのだから。
いやいや、でもこんなことはあり得ない……。と慌ててメッキを塗り直す。
チラリと隣の様子を伺えば、頬杖をついてこちらを見ていた伊織の視線とぶつかって心臓が跳ねた。眼鏡の奥に、またもや熱の存在が見て取れるのは何故だろう。
「お兄ちゃん今、恋人いないんでしょ?だったらさ、デートっていうと羽菜も気を遣ってしまうかもしれないから、まずは二人で出掛けてみたらどう?」
「ひぇっ!ちょっと莉子!待って!」
「だって出会いないじゃん。それに大事な羽菜を預けるなら信用できる男がいいもん」
「へぇ、俺って莉子からの評価が高いんだな」
「そこじゃないです!伊織さん!」
羽菜のツッコミが追い付かない。いつもは莉子がツッコミ役なのに。しかも羽菜の意見は華麗にスルーされている。
「あ、お兄ちゃん、フリーよね?」
「そうだね。妹の我儘に付き合えるくらい暇してるかな」
「なによそれ!」
——目がグルグル回りそうだ。もちろんアルコールのせいではない。だって殆ど梅酒は殆ど減ってなどいない。
「羽菜ちゃん俺とデートしてくれる?」
伊織は伊織で、さらに羽菜を混乱させるようなことを口にする。いちいち気にしたら負けなのかもしれない。「えっと」とか「いや……」とか意味のない言葉しか出てこない残念な女だというのに、一体彼は羽菜をどういう風に見ているのだろう。
(あ、もしかしたら……)
羽菜は可能性の一つに行きついた。
(私のこと小学生だと思ってるのかも……)
そう思えばすべて納得がいく……気がする。現実逃避、とも言うが。
「……そう、ですね」
「ほんと?嬉しいなぁ」
自分自身に返事をしたつもりだったが、伊織はとても嬉しそうに微笑んだ。その笑顔をみて、ますます混乱してしまう。ドキドキと心臓がうるさいし、頬だって絶対に赤くなっている。
「どこか行きたいところある?」
あ、もうデートは決定なんですね?しかも今、決めちゃう感じですか?
「今決めとかないと、やっぱり止めたってなるかもしれないだろ?」
「うう……」
どうやら伊織はエスパーらしい。羽菜が分かりやすいのもある、ということは本人は気付かない。
「莉子は……」
「行かないわよ。お邪魔虫じゃん」
「あ、ハイ」
「あ、でも何回かに一回は私も混ぜてもらおうかな」
「莉子ぉ~」
「もしかして、嫌だった?強引だったよね……」
しょんぼりとした伊織の声に、羽菜は慌ててかぶりを振る。
「まさか!!私なんかでって思ってただけで、私も……伊織さんと行きたいです……なんちゃって……」
話しながら己の発言に羞恥を覚えて、段々と声のボリュームと共に頭を下げながら小さくなる羽菜。
ザワザワと騒がしい店内だが、兄妹にはバッチリと聞こえていたようで、
「「……可愛い」」
と、同時に彼らが呟いていたことに、一杯いっぱいの羽菜は気づかなかった。
「ね、実際のところ、うちのお兄ちゃんどう?」
伊織が電話で席を外している隙に、隣に移動してきた莉子が声を落として問いかけた。
「どうって、私なんかよりもっと綺麗な人のが釣り合うとしか思えないよ。周りの女の人に刺されちゃうんじゃ……」
「お兄ちゃん本人はデート行く気なんだから、そこはいいとして……」
良くないけれど……と思った羽菜だったが、莉子がさらに近づいて耳打ちをするので身体を寄せた。
「お兄ちゃんってリオ君に似てるよね。正直タイプでしょ?」
さては莉子、結構飲んでいるな。だっていつの間にか彼女が手にしているものは日本酒のグラスに変わっている。
確かに莉子も何度かリオ君に会っている。伊織を見ては不意に思い出しそうになるのは羽菜だけでは無かったのだ。
「でも、そもそもリオ君を好きになったのって、お兄ちゃんに似てたからだったよね」
「なっ!」
「何で知ってるかって?羽菜が言ってたんだけど?バレバレだったしね」
「恥ずかしすぎる…」
両手で顔を覆って天井を仰ぐ。ハッ!と目を見開いた羽菜は、莉子の肩を掴んだ。
「わっ!何?」
「伊織さんに言ってないよね……?私が好きだったこと」
「言わないわよ。でも……」
「でも……?」
不穏な接続詞に羽菜はゴクリと固唾を飲んだ。
「バレてるかもね。お兄ちゃんも昔から羽菜にだけ優しいから満更じゃないと思うよ」
「ひぇぇ……」
「あっ!お兄ちゃん戻ってきた!ま、そんなこと気にせず軽い気持ちで出掛けてみなよ。私としては羽菜がお義姉ちゃんになってくれたら嬉しいなー」
肩をポンポンと叩いて立ち上がった莉子は向かいの席に戻らず、「お手洗い行ってくるね」と奥へ消えた。
「言い逃げされた……」
義姉とかの冗談はさて置き、これを機に連絡先を交換できるかもしれない。単純に伊織と繋がりが持てるのは嬉しい。恥ずかしいけれど。
伊織さえよければ一緒にデートをしたいし、そうすることで元彼を忘れることができる気がした。
思い出を塗り替えて欲しかった。
ウーロンハイのジョッキを片手に、莉子は大きな口を開けて笑っている。仰る通りすぎて、反論する気も起こらない。
「素敵な人だったね。羽菜ちゃんはお母さん似かな?」
「……素敵かどうかは分かりかねますが、よく言われます」
さすがエリート。上手く持ち上げてくれる。しかし恥ずかしすぎて、羽菜は梅酒のソーダ割をチビチビと飲みながら表面をただ見つめるだけだ。横に座る伊織のほうはとてもじゃないが見られそうもない。
ところで莉子と伊織は兄妹であるし、羽菜は莉子の親友だ。そして伊織と羽菜の直接の繋がりはない。
なのに何故、羽菜と伊織が隣同士で座っているのか?
店に着いた時には既に莉子が居たので、羽菜は彼女の横に伊織が座るものだと思い、向かいに座った。それなのに何故か彼は羽菜の隣に座ったというわけだ。水を持った店員がすぐ傍にいたから、とりあえずさっさと座ったのだろうとは思うけれど。
座る場所の違和感に小さく慌てる羽菜だったが、莉子も伊織も気付くことはなく、その状態のまま今に至る。
鉄板焼き屋だから匂いはそれなりにある。なのに時折いい匂いが鼻腔をくすぐるのは何故か?
家で咄嗟に付けた自身の練り香水の匂いではないことぐらいわかる。車で送ってもらった日から鼻が覚えている、コロンなのか整髪料なのか分からない爽やかな伊織の香りなのだから。
——あまり深く気にするのは止めよう。引き返せない事態にはなりたくない。
「うう、母がとんだご迷惑を……。話し好きなものですから」
「気にすることないよ。聞かれて困ることは何もないからね」
優しい言葉が胸に染みる。けれどめちゃくちゃ気にします、すいません。やっぱりまだ顔は上げられない。
「なんか二人、いい雰囲気ね」
ボソリと落とされた莉子の言葉に、驚いた羽菜は漸く梅酒から顔を上げた。
「え?」
「だから羽菜とお兄ちゃん、いい感じじゃない?と思って」
「な、な、な!!」
母が核心を突く前に逃げてきたというのに。伏兵がこんな身近にいたなんて。
「はは、嬉しいなぁ」
「え……」
(嬉しい?いい感じだと言われて嬉しいなんて。それって……)
伊織の言葉をつい自分に都合がいいように解釈してしまいそうになる。憧れだ、ファンだと言い聞かせていた心のメッキが剥がれそうだ。なんせ初恋なのだから。
いやいや、でもこんなことはあり得ない……。と慌ててメッキを塗り直す。
チラリと隣の様子を伺えば、頬杖をついてこちらを見ていた伊織の視線とぶつかって心臓が跳ねた。眼鏡の奥に、またもや熱の存在が見て取れるのは何故だろう。
「お兄ちゃん今、恋人いないんでしょ?だったらさ、デートっていうと羽菜も気を遣ってしまうかもしれないから、まずは二人で出掛けてみたらどう?」
「ひぇっ!ちょっと莉子!待って!」
「だって出会いないじゃん。それに大事な羽菜を預けるなら信用できる男がいいもん」
「へぇ、俺って莉子からの評価が高いんだな」
「そこじゃないです!伊織さん!」
羽菜のツッコミが追い付かない。いつもは莉子がツッコミ役なのに。しかも羽菜の意見は華麗にスルーされている。
「あ、お兄ちゃん、フリーよね?」
「そうだね。妹の我儘に付き合えるくらい暇してるかな」
「なによそれ!」
——目がグルグル回りそうだ。もちろんアルコールのせいではない。だって殆ど梅酒は殆ど減ってなどいない。
「羽菜ちゃん俺とデートしてくれる?」
伊織は伊織で、さらに羽菜を混乱させるようなことを口にする。いちいち気にしたら負けなのかもしれない。「えっと」とか「いや……」とか意味のない言葉しか出てこない残念な女だというのに、一体彼は羽菜をどういう風に見ているのだろう。
(あ、もしかしたら……)
羽菜は可能性の一つに行きついた。
(私のこと小学生だと思ってるのかも……)
そう思えばすべて納得がいく……気がする。現実逃避、とも言うが。
「……そう、ですね」
「ほんと?嬉しいなぁ」
自分自身に返事をしたつもりだったが、伊織はとても嬉しそうに微笑んだ。その笑顔をみて、ますます混乱してしまう。ドキドキと心臓がうるさいし、頬だって絶対に赤くなっている。
「どこか行きたいところある?」
あ、もうデートは決定なんですね?しかも今、決めちゃう感じですか?
「今決めとかないと、やっぱり止めたってなるかもしれないだろ?」
「うう……」
どうやら伊織はエスパーらしい。羽菜が分かりやすいのもある、ということは本人は気付かない。
「莉子は……」
「行かないわよ。お邪魔虫じゃん」
「あ、ハイ」
「あ、でも何回かに一回は私も混ぜてもらおうかな」
「莉子ぉ~」
「もしかして、嫌だった?強引だったよね……」
しょんぼりとした伊織の声に、羽菜は慌ててかぶりを振る。
「まさか!!私なんかでって思ってただけで、私も……伊織さんと行きたいです……なんちゃって……」
話しながら己の発言に羞恥を覚えて、段々と声のボリュームと共に頭を下げながら小さくなる羽菜。
ザワザワと騒がしい店内だが、兄妹にはバッチリと聞こえていたようで、
「「……可愛い」」
と、同時に彼らが呟いていたことに、一杯いっぱいの羽菜は気づかなかった。
「ね、実際のところ、うちのお兄ちゃんどう?」
伊織が電話で席を外している隙に、隣に移動してきた莉子が声を落として問いかけた。
「どうって、私なんかよりもっと綺麗な人のが釣り合うとしか思えないよ。周りの女の人に刺されちゃうんじゃ……」
「お兄ちゃん本人はデート行く気なんだから、そこはいいとして……」
良くないけれど……と思った羽菜だったが、莉子がさらに近づいて耳打ちをするので身体を寄せた。
「お兄ちゃんってリオ君に似てるよね。正直タイプでしょ?」
さては莉子、結構飲んでいるな。だっていつの間にか彼女が手にしているものは日本酒のグラスに変わっている。
確かに莉子も何度かリオ君に会っている。伊織を見ては不意に思い出しそうになるのは羽菜だけでは無かったのだ。
「でも、そもそもリオ君を好きになったのって、お兄ちゃんに似てたからだったよね」
「なっ!」
「何で知ってるかって?羽菜が言ってたんだけど?バレバレだったしね」
「恥ずかしすぎる…」
両手で顔を覆って天井を仰ぐ。ハッ!と目を見開いた羽菜は、莉子の肩を掴んだ。
「わっ!何?」
「伊織さんに言ってないよね……?私が好きだったこと」
「言わないわよ。でも……」
「でも……?」
不穏な接続詞に羽菜はゴクリと固唾を飲んだ。
「バレてるかもね。お兄ちゃんも昔から羽菜にだけ優しいから満更じゃないと思うよ」
「ひぇぇ……」
「あっ!お兄ちゃん戻ってきた!ま、そんなこと気にせず軽い気持ちで出掛けてみなよ。私としては羽菜がお義姉ちゃんになってくれたら嬉しいなー」
肩をポンポンと叩いて立ち上がった莉子は向かいの席に戻らず、「お手洗い行ってくるね」と奥へ消えた。
「言い逃げされた……」
義姉とかの冗談はさて置き、これを機に連絡先を交換できるかもしれない。単純に伊織と繋がりが持てるのは嬉しい。恥ずかしいけれど。
伊織さえよければ一緒にデートをしたいし、そうすることで元彼を忘れることができる気がした。
思い出を塗り替えて欲しかった。