初老アイドルが一般人女子との恋を成就させるまで
それから、茜と香代は仕事のことや香代の趣味の話を少しして、それぞれ帰宅した。
帰宅する車内で、茜は考える。


香代の回答は実にシンプルだった。
茜の側になんら障害がないなら、行って然るべきだと。
茜はもう一度、自分がどうしたいかを考える。
正直、マスコミやファンに見つかったらと思うと、怖い部分はある。
それでも。
それでも、だ。
その恐怖を除いていけば、航太と会って話したいという、純粋な気持ちが心の底に、確かにあった。



茜は、腹を括る。
航太に、返事をしよう。自分も会って話がしたいと、そう伝えよう、と。



家に着いた茜は、早速スマホを取り出して、航太にメールを打つ。



『こんばんは!お疲れ様です。
すみません、電話でお話したいことがあるので、
航太さんが大丈夫な時を教えていただいていいですか?』



画面に表示される文面を確認して、茜は一つ深呼吸をして、それから送信ボタンをタップした。
1~2秒、送信中の画面が映った後、送信完了の文字が続いて表示され、それを確認してから、茜はスマホをテーブルの上に置いた。
すぐに返ってくるとは思ってない、いや、そう思いたかった。
だけど、早く返ってきてほしいと思う自分もいる。
心臓がやけに大きく鼓動していて、煩いくらいだ。


と、テーブルの上のスマホが、メールを受信したことを告げる音を奏でる。
反射的に、茜はスマホを手に取り、ディスプレイの表示を確認する。
ディスプレイに浮かび上がった通知には、確かに茜が登録してある『コウ』と記されている。
微かに震える手で、茜はロックを解除し、航太からのメールを開封する。



『こんばんは。
今、ちょうど家なんで、大丈夫ですよ。』



書かれていたメッセージを読み、茜の緊張感は更に高まっていく。
航太の返信から導き出された結論は、「今、電話をする」ということ。
茜は電話帳を開いて、航太の電話番号を表示させる。
正直、逃げ出してしまいたいくらいだ。
だが、もうここまで来たら、逃げても何の意味もない。




「……よしっ」




そう呟いて、茜はスマホ片手にスケジュール手帳をバッグから取り出してテーブルに置き、電話番号をタップし、そのまま表示された発信ボタンを続けてタップした。
スマホを耳に当てると、一瞬の沈黙の後、呼び出し音が聞こえてくる。
そして、呼び出し音が丸々3回鳴り、4回目が鳴り出したその時だった。
唐突に、呼び出し音が途切れた。




「もしもし?」
「…もしもし」




聞こえてきたのは、まごうことなき航太の声。




「茜さん、元気でした?」
「あ、はい。航太さんは…」
「俺も元気です」




会話の流れから言って、次に話すのは茜で、先日の誘いについての話をしなければならない。
だが、なんて切り出していいのか迷い、スマホ越しには沈黙が流れていく。




「…茜さん」
「はいっ、あ、すみません」
「この間の件…、ですよね」
「あ、そうです。それで」
「すみません、困らせちゃいましたよね」
「はい?」
「いや、いきなり誘ってしまって…。しかも都合の良い日教えてって、断りづらかったですよね」
「あ、いや」
「全然、断ってもらっても大丈夫ですんで」
「あの!」




航太によって勝手に進められていく展開に、茜は電話口にしては大きな声を出して、その流れを止める。




「あの…、私も、ぜひお会いしたいので…、その…、日にちを、どうしようかと思って…、お電話させてもらいました」




茜の言葉の後、航太からの応答はすぐに返ってこなかった。
茜は不安になるも、もうボールは航太に投げてしまっている。
だから、待つしかない。
十数秒ほどして、航太の声が茜の耳に届いた。




「ほんとですか?」
「ほんとです」
「え、わ、ありがとうございます」
「すみません、お返事が遅くなってしまって…」
「大丈夫です」




やっと、2人の会話にいつものテンポが戻ってきた。
茜は言葉にはせずともホッとしていたし、航太もまた内心安堵していた。
あの電話の後、ちょっと強引すぎたかもしれない、断られるかもしれない、もしかしたら、連絡がこのまま途絶えてしまうかもしれないとひそかに不安を感じていたからだ。




「じゃあ、いつ大丈夫ですか?」
「えっと…、できれば日曜日がいいんですけど、航太さんは…」
「あー…、俺曜日関係ないんですが……。あ、再来週の日曜は、シングルリリースのプロモ活動で忙しくなるからってことで、丸々オフです」
「再来週……、あ、私も大丈夫です」
「じゃあ、そこで」
「でも、いいんですか?」
「え?」
「いえ、せっかく身体を休めてほしいって丸一日オフになってるんじゃ…」
「大丈夫です。そこ逃すと、もう丸一日オフって中々ないんで」
「そうですか…」
「行きたいところありますか?」
「行きたいところ…」
「あ、今思いつかないなら、あとでメールください」
「それでお願いします」
「もし特にないならないで、連絡ください。こっちで決めちゃうんで」
「分かりました」
「じゃあ、また」
「はい、また」




二人は簡単な挨拶を交わし、通話は終わった。
スマホを耳から離した後、茜は少し考えてから、スケジュール手帳の再来週の日曜日に☆印を記入した。
自分の書く、何の変哲もない☆印だが、それを見る茜の顔は笑顔だった。
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