初老アイドルが一般人女子との恋を成就させるまで
「ただいまです」
「おかえりなさい」




茜はぼんやりと窓の外を眺めていたようで、航太がドアを開けて最初に視界に入れた時、その肩を震わせて航太の方を向いた。
航太はシートベルトを締めてからエンジンをかけて、車を発進させた。




「何を買われたんですか?」
「なんか…、ショウガのお菓子です」
「お菓子…」
「あ、俺が欲しかったんじゃなくて、メンバーの暁に買ってきてくれって頼まれたんです」
「暁さん、確か料理お得意でしたよね」
「そう。で、地域限定の食品に目がないんですよ」
「なるほど…」




車は駐車場を抜け、再び幹線道路を走り始める。
と、茜はとても大事なことに気が付いて、急いで口を開く。




「あ、そういえば」
「はい?」
「結局…、今日どこに行くんですか…?」




そう、ここまで来て、茜は今日の目的地が分からないことに気づいたのだ。
航太からは事前に、ちょっと決めるのに時間かかりそうだと言われたので、じゃあ当日分かればでいいですよ、と茜は言っていたのだ。
しかし、航太と会うこと自体への緊張感で、そんなこともすっかり頭から抜け落ちていた。




「あ!そうですよね、すいません」
「いえ、私も気付かず、すみません…」
「あ、で、目的地なんですけど、海の見えるいい感じの店です。時間的にも、そこでご飯食べようかなと」
「了解です」




気づけば、海は道路のすぐ傍できらきらと光っている。
しばらく海沿いの道を走った車は左折して、内陸側へと進む。
徐々に住宅と住宅の感覚が広くなっていき、そして、15分ほど走った後、木立に囲まれた黒い外壁の2階建ての建物が見えてきた。
車はその建物の敷地に入り、駐車場に車を止める。




「到着です」
「ありがとうございます」




2人は自分の荷物をそれぞれ持って、車から降りる。
建物の周りは緑が植えられており、入り口までは石のタイルが続いていた。
茜はそれとなく航太の斜め後ろの位置をキープしながら、栗色の扉まで歩を進めた。
店内への入り口となる栗色の扉は、重厚そうに見えるのに不思議とあたたかく迎え入れてくれるような、そんな様子で佇んでいる。
その扉を、航太はゆっくりと押して開いていく。




「いらっしゃいませ」




扉を開けた向こう側には、ギャルソンエプロンをつけた柔和な男性がいて、挨拶をしてくれた。
店内は静けさに包まれていて、人の声は橘以外にはしなかった。




「こんにちは、橘さん。今日はすみません、無理を言ってしまって…」
「大丈夫ですよ。さ、ご案内します」




橘と呼ばれたギャルソンエプロンの男性は、すっと手で行き先を示し、茜と航太がコートを脱いだタイミングで歩き始め、2人もそれについていく。
店内は、黒いモダンな外観とは打って変わって、オフホワイトの壁と木の柱で、あたたかい雰囲気であった。
入り口の扉の反対側にはテラスがあり、そこにもテーブルと椅子が設置されている。
店内を進むと奥に階段があり、橘はこちらですと促して、茜と航太も橘に続いてその階段を上り始める。


階段を上りきった先には、太陽の光が射し込むあたたかな空間が広がっていた。
1階同様にオフホワイトの壁と木の柱で構成された部屋にも、いくつかのテーブルと椅子が置かれていて、その中でも一番窓際の席に、橘は2人を案内した。
茜と航太は、向かい合ってその席に座る。
そのタイミングで、橘はすっとメニューをテーブルに置いた。




「お決まりになった頃に、また来ますね」




そう言って、橘は階段で下に降りて行ってしまい、この空間には茜と航太、2人だけとなった。
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