キネンオケ
そのCDは「うちにあった。」と言って魁が持ってきてくれたものだった。
「知ってる?」と付け足すように言われたラフマニノフとスクリャービン。
「知っていると言えば知っているし、知らないと言えば知らない」
「なんだそれ」
何気ない会話で笑った、ドイツビールが飲めるお店での夜のことだった。
「有名で人気だし、名曲よ。私も演奏する機会はあるわ」
そう言うと彼は好きなだけ借りていていいよとは言ってくれたけど、永遠に借りておくわけにいかないし、と思っていた。
でも魁に連絡をしたはCDのためだけでないのは自分でもわかっていて、でもたいした感情ではないことはわかっていて、言うならば、友達が元気にしているかなと思う程度のこと、と。
そんなふうにぐだぐだと一人で言い訳しながら朋美はメッセージを送った。
お礼とともに、近いうちにお返しすると言うと、その夜のうちに返事はきた。
「時間があれば、うちにどうぞ。古いLPもたくさんあるから」
シンプルなメッセージだけど、家に招待されたことはわかった。こんなに簡単に家に招待するもの?と思いながら、実家暮らしだし深い意味はなくて、本当にLPを聴かせてくれるだけなんだろうなとは思った。
でもその誘いに朋美は勝手ながらも緊張した。男女問わず音大仲間とはこういうやりとりは珍しくなかったし、別に彼女として紹介されるために家に招待されたわけではないことはわかっていたけれど、本当にお邪魔していいのかと二回確認し、約束の日が近づくにつれて落ち着かない自分に朋美はふと笑う。
たいしたことはない。友達の家に遊びに行くだけ。
飾らないパンツスタイルなのに、デコルテのラインがきれいに見えると思って買った新しいカットソーを着て、一番お気に入りのピアスも、ちょっと主張のある細いフープ。でも18金の質のいい、もう何年も大事に使っているもの。そんなふうに結局気合の入った自分を鏡で見て、思わず笑ってしまう。
「でも、身だしなみは社会人としてのマナーだから!」
艶やかな髪の毛や、フルメイクな自分の顔を鏡でみて、一人でまた言い訳をする。魁が関係すると、どうもいつもの調子が狂う気がする。
音大時代や、オケの仲間との約束だったら、こんなに丁寧に準備はしないし、憧れの人が約束の相手だったら清楚なワンピースを着て、小さなダイヤモンドの粒がきらめくピアスをつけ、控えめな花の香りを身にまとっただろう。
「変人だから、こっちまでペースが狂うのよ」
思わずため息をついて、言い訳のようにもう一度自分の顔を見ると、思いのほかかわいい顔をしていて、朋美はまた戸惑った。