キネンオケ
都内の人気住宅地にある魁の実家は、立派な門構えで、一人で訪れるには緊張してしまうほどだった。隣にもう一つ建物があり、瀬崎内科クリニックと看板があったので、家族の誰かが開業してるのだろう、と思った。
瑛子や旦那さん、その家族を見ていて思うのは医者は代々家業にしている人間が本当に多い職業だと思う。
そのとき、魁も普通の医者にならなくていいのかな、なんてことを思ったのは余計なお世話だなと、胸に秘めた。
本当はみんな好きなことを選べるはずなんだ。すべての医者の子供が医者でないように、すべての音楽家の親が音楽家でないように。
約束の時間ほぼぴったりにベルを鳴らすと魁が出てきてくれた。
広い玄関にリビングに案内してもらうと、すでに用意されたレトロ情緒漂うLPがずらりと並べられており、部屋の隅には堂々とした機材があった。好きなのを選んで、と言われて眺めていると、「いらっしゃい」と、女の人の声が聞こえて朋美は顔を上げた。
魁が一人っ子だということは聞いていたので、突然現れた女性は母親だろうとすぐにわかった。女性は胸元まであるロングヘアで、目と鼻筋が魁に似ていたが、魁よりもずっとクールビューティー、という言葉が似合う人だった。それでも肌や髪に現れる老いは当然見てわかる、年相応の美しさがきちんとある人だった。
「お友達?」
「そう。こちら佐々木朋美さん」
魁に紹介されて、朋美は「はじめまして」と頭を下げた。
母親は「どうも」などと言いながら、すっと立ち去った。
そのそっけない態度に、知らないうちに何かいけないことでもしただろうかと朋美が思っていると、十分ほどしてからティーセットに紅茶を入れて持ってきてくれた金色で縁取られた、ロイヤルブルーの質のいい、ウェッジウッドのティーカップ。香りのいい紅茶。その心遣いをありがたく思いながらいただきます、と朋美が言って頭を下げると、唐突に母親は言った。
「ご職業は?」
初対面なのにそんなことを聞かれるなんてと朋美は驚いたが、別に人に言えない仕事をしているわけではないので、堂々と言った。
「ヴァイオリンを弾いています。都内のオケに所属していますが、個人でも少し演奏会などを行っています」
笑顔で、自分のやってきたことに自信を持って、仕事に誇りを持って、朋美がそう言うと、母親はいいとも悪いとも言わない、真顔のままで言った。
「大変ね。手を壊したら、もうできないお仕事だものね」
その声は一定のトーンで、リズムで、淡々としていた。思いがけない言葉に朋美は固まってしまう。切ない響きに、余計なお世話です、とも、気を付けています、とも言えなかった。そんなことを言われたのは初めてだったからだ。
だいたいは、すごいですねとか、素敵ですねとか、そんなことを言われることばかりだったから。
そして驚いたのは、彼女がほとんど表情などない感じだったのにどこかで悲しそうだったからだ。むなしさ。切なさ。うまく言葉にできないけれど。
それから「ごゆっくり」とだけ言うと魁の母親は立ち去った。