キネンオケ
夕食にお邪魔させていただいたその帰り、魁は車で送ってくれた。朋美は電車で帰れると言ったが、遅いし天気も悪いしと彼は言って。父親の立派な国産の高級車の助手席のドアをあけて「さあどうぞ、お嬢さま」と笑って。
そのふざけた様子がおかしくて、それならと送ってもらうことにした。そうやって他人に気を遣わせないようにしながら親切にしてくれるところ…先ほどまで一緒に食事をした彼の両親を思い出す。
優しい人たちなのだと思う。どこか切ないほどに。
朋美は助手席で彼のその安定した運転をみながら、最初から送ってくれるつもりだったのだろうなと、食事の席でお酒を断った姿を思い出していた。自分のためにお酒を飲まないでいてくれたことがありがたくも申し訳なくもなりながら。
色々ありがとうという程度のことしか言えない朋美に、魁は父親のことなどは特に触れず、またいつでも来て、と言うだけで。
雨音が響く車内のFMから懐かしい曲が流れていた。ボズ・スキャッグスのWe’re all alone。
「僕たちは、二人きりだ」と朋美が知ったのは、大学生になってからだった。高校生の頃は、「私たちはみんな孤独」だと思っていたのだ。
孤独どころか、とてもいい二人きりの時間をうたっている。ボズ・スキャッグスのいい声と懐かしいメロディ、それから甘い詞に、いい雰囲気にもなりそうなのにそうでもない。
人の気持ちなんて変わっていく。かつて恋をした人、この人の特別になりたいと思った人は、それなりにいた。魁にもいたかもしれない。大切なのは今。でも色あせた恋物語も美しいものだと、いくらか大人になったは言える気がする。いつか恋をした人に会いたいというわけではないけれど。取り戻したい過去があるわけでもないけれど。知らないことが多すぎると二人きりでいるのに孤独と同じに思えてしまう。
ちらりと隣を見ると、過去の想い人や恋物語の雰囲気すら感じさせない様子で魁は淡々と運転をしていた。自分がこの人の心を乱せる自信がないほどに、魁はいつだってマイペースだ。
じゃあ、と手を振って車を降りると魁も同じようにそうしてくれた。
魁の、そのあまりにもきちんとした笑顔に、冗談や他愛ない話だけじゃ物足りない、と朋美は思った。
彼の母親のどこか物憂げな顔、父親のぎこちない仕草。家族のことも、もっといろいろなことが聞きたい。面倒なことも、大変なことも、話してくれたらいのに。
「行かないの?」
車の外に出て傘をさして立って朋美が首を傾げると、魁は笑顔を見せた。
「部屋の明かりがつくまでいようかなと。そういうものじゃない?少女漫画とかドラマとかって」
そう言われておかしくなって朋美は声を出して笑った。
「やだ。どの部屋かわかっちゃうじゃない」
恥ずかしくなって朋美が言うと魁は先ほどと同じ笑顔のままで言った。
「そうそう。それで今度、突然現れてやろうかと思って」
「やだ、変人!やめて!」
朋美がふざけて言うと、今度は魁が声を出して笑った。二人の笑い声が暗い夜の中で明るく響いた。雨音はまるで星が降り注ぐみたいだった。
「本当、ここで十分よ。ありがとう。また近いうちに」
会いましょう、とは言わなかったけど、近いうちに会いたいと思った。
そういうと、魁は運転席から手を振った。おやすみ、と言って。彼のお父さんのだという黒い、いかにも高級そうな車に似合わない幼い顔を見せて。急いでマンションエントランスに走って振り返ってみるも、車は少しも動かなかった。
五分程してマンションの三階の自室のベランダに朋美が出ると、その車はまだあった。暗くてよく見えなかったが、ベランダから朋美が手を振って見せると、車は静かに走り始めた。雨はだいぶ落ち着いた。魁が何事もなく家に帰れますように、と朋美は祈りのように思った。
こんな気持ちを、持つと思わなかった。
初めて会った日からもう三か月以上になる。どうして自分と変わらずに会ってくれているの?なにを思って連絡をしてくれるの?返事をくれるの?どうして夕食に同席させてくれたの?
こんな風に家まで送ってくれて、親切にしてくれるのも。
あなたが何を感じて、考えているのかを、知りたいと思う。
例えば和樹だったら聞けることも魁だと聞けない。そのことの意味を、考えるのが怖いほどに、いつのまにか臆病になる自分に朋美は気づいた。