キネンオケ

「魁の家族に会った?」

試すような口調で和樹は言った。この顔。何かを企んでいそうな、それでいてとてもきれいな笑顔。何もかもを知っていそうな、ずるいほどにきれいな。
朋美はわずかに苦い液体でで口を湿らせてから言った。

「どういうつもりで紹介してくれたのか聞かせて欲しかったのよ」

そういって、瑛子も加わって再び三人で乾杯と細いグラスを交えると、いつのまにか瑛子が並べてくれたオードブルのうち、一番つまみやすそうなチーズを口に入れてから言った。

「本当に、魁と朋美は合うかなって思ったんだよ。魁は別に彼女が欲しいとか、誰か紹介してくれとか、そういうことは一切言ってなかった。パートナーなんて別にいなくていいって感じだったしね。でも俺が言ったの。きっとおもしろいからって。」

おもしろいという言葉に一瞬怪訝な顔を見せた朋美にかまうことなく、和樹は話を続けた。

「魁の家は子供のころからよく遊びに行っていて、あのお母さんにもよく会っていたよ。魁のお父さんも。たぶんもともとすごいマジメで優しい人たち。」

懐かしい時間に思いを馳せるように和樹は穏やかな顔つきで、口調で、言った。

「魁の母親は、みんなで集まってどんなに盛り上がっていても、もう時間だからって帰るように言った。でも嫌な感じはしなかった。遅くなると危ないからとか、また明日来てとか言って玄関を出たところで見送ってくれて。遊びに行くといつも丁寧にお茶とかお菓子を出してくれたし。長い時間いると、飲み物は足りてるか聞いてくれたりして。親父さんも似てる。みんなですごい騒いでて、帰り際に出くわしたとき、無表情だったから怒られるのかと思ったら、もう帰るのか、また来いって。」

言いながら、和樹が懐かしい時間をかみしめるように、幼い顔つきで笑った。同時に、会ったことのある魁の両親のいくらか若い姿を想像してこの胸は締め付けられるようにも、温かいようにも感じられた。和樹の言うようにもともとすごいマジメで優しい人たち、というのに納得する。あの温かい、丁寧に淹れられた紅茶も。

同時に切なくなってしまうのは、魁の母親の言葉のせいなのか。

─あなたにも魁にも、もっとふさわしい相手がいるかもしれない。

あのとき、そう言われたのだとわかった。
そのことを思い出しながら、朋美は言った。

「私を紹介してどうするつもりだったの?あの家に音楽で活気を取り戻してもらうとか?」
「そういうつもりは全くない。ただ本当に、朋美くらいエネルギーがある人と魁は合うかなと思っただけ。魁の親父さんの怪我は本当に残念だったけど、お金に困ってるような家じゃないし、魁は優秀だしいいやつだし」
「マキちゃんの代わりなの?」

朋美が強い口調で言うと、和樹は本当に驚いた顔をした。何のこと、と言うような表情だった。それは瑛子も同じだった。少なからず事情を知っているはずの瑛子も同じ顔をしたのが意外で、朋美は戸惑ってしまう。

「知っているんでしょう?ケガでヴァイオリンを辞めたっていうマキちゃんのこと。」

朋美の言葉に、和樹と瑛子は変わらずに目を丸くしていた。

「それは本当に知らないな。マキなんて聞いたことがない。魁のまわりにいた子でも、俺の知る限りではヴァイオリンを弾くなんて子は知らないし。」
「私もそれは聞いていないわ。瀬崎先生のご事情だけよ」

三人で顔を見合わせると、空気はいっそう張り詰める気がした。
朋美はのどの渇きを潤したくて薄黄色い液体を一口含んで言った。

「魁のお母さんが言ったのよ。マキちゃんだってケガでヴァイオリンを辞めたのにって。」
「魁に聞いてみれば?」
「でも、聞いて欲しくないことかもしれないし。話したいときが来ればとは思うけれど」
困惑した顔で朋美が言うと、和樹は朋美の想いを感じ取ったようにニヤリと笑った。
「なに、その顔。やめてよ。みんなあるじゃない、話したくないこととか、聞いて欲しくないことって」

慌てて誤魔化すように言う朋美の言葉に、和樹は軽い笑顔を見せながらも、でもどこか真剣な様子で、重い口調で言った。

「もし何かわかったら連絡する。でも気にしなくていいと思う。俺は誰かの代わりとかじゃなくて、二人だったら合うかな、おもしろいんじゃないかなって思って紹介した。将来が未知数なのも含めて、社会的なポジションとかそういうの抜きで魁はいいやつだからって。でもそれだけ。つらい思いをさせたいわけじゃないし」

いつも茶目っ気のある顔つきで冗談を言うこの男が神妙な顔つきでそういうのが、いっそう朋美を不安にさせているのが、隣にいた瑛子にはわかっていた。和樹にはいつも通りふざけて欲しい。冗談を言って和ませて欲しい、と。

「朋美の魅力は朋美だけのものだから。そのままでいいのよ」

マキちゃんを気にしている朋美の気持ちがすべてわかるように、瑛子は丁寧に、とてもきれいに微笑んで言った。
瑛子の励ましは、いつも愛があって、学生時代からありがたく感じていた。でも今は素直に聞けない。誰も知らないマキちゃんへの魁の想い。どれほどの重さかも誰も知らないそれは、今の朋美には、とても重いもののように思える。魁が背負っているものの重さはわからないけど。魁の口から聞きたい。何でもいいから、魁の口から。ただそれだけだった。

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