【1/2 英語版③巻オーディオブック発売・電子先行③巻発売中】竜の番のキノコ姫 ~運命だと婚約破棄されたら、キノコの変態がやってきました~ 第2章
25 祝福の瞳
「……クロード様。ここは王宮、ですよね?」
馬車に乗って緊張しながらも何とか到着し、手を引かれるまま歩くと、辿り着いたのは緑色の扉の前だった。
「仕立て屋だよ。王宮内の仕立て部門。王族は箪笥と呼んでいる。――さあ、おいで」
扉を開けると、そこは思いの外広い空間だった。
所狭しと煌びやかな生地や装飾が並んでいて、アニエスには刺激が強くて目が痛くなってくる。
促されるままに室内を進みソファーに腰かけると、テーブルの上に紅茶が運ばれてきた。
事態が呑み込めないが、馬車での緊張のせいでのどが渇いていたので、ありがたくいただく。
「それで、クロード様。何をしにここに来たのですか?」
「そりゃあ、服を仕立てるんだよ」
「クロード様の服ですか」
「いや、アニエスの」
王族が服を仕立てるところなんて、そうそう見る機会もない。
少し面白そうだと暢気に構えていたアニエスは、紅茶が変なところに入って咳き込んだ。
「わ、私ですか?」
咳をしながらクロードを見ると、腕にはキノコが生えている。
柄の上に淡褐色のデコボコした網目状の頭部が乗っているのは、アミガサターケか。
相変わらず、キノコの感度は良好のようだ。
「ケヴィンとも話しただろう? 明るくて華やかなワンピースだよ」
「でもあれは。それに、何も王宮で……既製品で十分。いえ、お古でも」
「――アニエス」
「……はい」
穏やかな声ではあるが抗い難い圧に、アニエスはうなずくことしかできない。
さすがは生粋の王族だ。
声を荒げたりしつこく言い続けることで相手を諦めさせるへなちょこ王族とは、声の持つ力が違う。
「俺は愛しい番を甘やかす。手始めに、アニエスの美しい髪と可愛らしい姿に合うワンピースを作る。これは決定事項だ。いいね」
「は、はい」
少し怯える様子に気付いたのか、クロードは苦笑しながらアニエスの頭を撫でる。
「まずは採寸から。さあ、行っておいで」
促されるまま女性に連れていかれると、そのまま採寸が始まった。
いくら地味なフィリップ仕様でも、ドレスを作るとなれば採寸は必須だ。
なので当然アニエスも経験があったが、その何倍も細かい測定に、終わる頃にはぐったりと疲労していた。
「おかえり、アニエス」
「……はい」
クロードの待つソファーに沈むように座ると、そのまま眠れるような気さえした。
「――ようやくお会いできましたね。噂に違わず美しい髪の色の、可愛らしい方!」
突然のハイテンションな女性の登場に、アニエスは慌てて上体を起こす。
「王宮の服飾部門の代表、ドゥラランドだ。綺麗なものに目がない」
ドゥラランドと呼ばれた女性は礼をすると、早速アニエスのそばにひざまずいた。
「本当になんて深みがあって美しい桃花色。傷みもないし、絹糸にも勝る艶も素晴らしい。お顔立ちも可愛らしいですし、お肌もきめが細かくて、瞳も」
矢継ぎ早に出てくる言葉と至近距離で見つめられることに驚いていると、ドゥラランドの声が止んだ。
「まあ、なんて綺麗な緑青の瞳。この国では珍しい色ですね」
「そうなんですか?」
確かに同じ色は父くらいしか見たことはない。
だが桃花色の髪ほどは珍しくもないだろうし、気にしたこともなかった。
「緑も青も多いですが、中間の色はあまり見かけませんね。隣国ではたまに見かけると聞いたことがあります」
「父が隣国の出身なんです」
父と同じ瞳の色が美しいと言われて嬉しくなったアニエスは、身を乗り出す。
「なるほど。ではお父様の美しい色を受け継いだのですね。確か隣国で緑青は、高貴な祝福の色と言われています」
「そうなのか?」
クロードも知らなかったらしく、興味深そうに聞いている。
「私の祖母が、隣国オレイユの出でした」
ドゥラランドがそう言った瞬間、アニエスの脳裏に懐かしい声が響いた。
『――アニエス。私の宝物。祝福の瞳と桃花色の髪を持つ、キノコのお姫様。……どうか、幸せに』
父の、声だ。
これはあの馬車の中……事故の時の記憶だろうか。
母の金髪と鳶色の瞳も脳裏に浮かぶ。
ブノワやケヴィンも同じ色の瞳だったから、あの事故の後も慰められたのを憶えている。
父は薄紅の髪と緑青の瞳で、瞳と同じ緑青色の指輪をいつもしていた。
そういえば、優しい父は男の子達がからかってつけた『キノコ姫』の名を、決して呼ばなかったはず。
なのに何故、『キノコのお姫様』なんて呼ぶのだろう。
これは記憶ではなくて、勝手な夢なのだろうか。
「――アニエス?」
クロードの声に我に返ると、何だか頬が冷たい。
手を当ててみると、どうやら知らぬ間に涙を流していたようだった。
「何かお気に障りましたか? 申し訳ございません」
ドゥラランドが頭を下げるのを見て、慌てて首を振る。
アニエスの動きに合わせて、涙の雫があたりに飛び散った。
「――ち、違うんです。すみません。私」
混乱しながら謝罪するアニエスの頭を、クロードが抱き寄せる。
「大丈夫だから。落ち着いて」
甘い果実の香りに包まれ、穏やかな声に心を撫でられ。
ようやく少し落ち着いたアニエスは、深く息を吐いた。
============
【今日のキノコ】
アミガサタケ(網笠茸)
柄の上に淡褐色のデコボコした網目状の頭部が乗っているキノコ。
煮物や汁物になるが、生では有毒なので茹でこぼす……何故、人は労力を惜しまず、命を懸けてもキノコを食べるのか。
アニエスが服を作ると聞いて、自身の特徴的な頭部を飾りに使ってもらえないかと思って生えてきた。
「飾りでもいいし、頑張って乾燥すればボタンもいける気がする」と訴え、いずれ一緒にお散歩したいと夢を膨らませている。
馬車に乗って緊張しながらも何とか到着し、手を引かれるまま歩くと、辿り着いたのは緑色の扉の前だった。
「仕立て屋だよ。王宮内の仕立て部門。王族は箪笥と呼んでいる。――さあ、おいで」
扉を開けると、そこは思いの外広い空間だった。
所狭しと煌びやかな生地や装飾が並んでいて、アニエスには刺激が強くて目が痛くなってくる。
促されるままに室内を進みソファーに腰かけると、テーブルの上に紅茶が運ばれてきた。
事態が呑み込めないが、馬車での緊張のせいでのどが渇いていたので、ありがたくいただく。
「それで、クロード様。何をしにここに来たのですか?」
「そりゃあ、服を仕立てるんだよ」
「クロード様の服ですか」
「いや、アニエスの」
王族が服を仕立てるところなんて、そうそう見る機会もない。
少し面白そうだと暢気に構えていたアニエスは、紅茶が変なところに入って咳き込んだ。
「わ、私ですか?」
咳をしながらクロードを見ると、腕にはキノコが生えている。
柄の上に淡褐色のデコボコした網目状の頭部が乗っているのは、アミガサターケか。
相変わらず、キノコの感度は良好のようだ。
「ケヴィンとも話しただろう? 明るくて華やかなワンピースだよ」
「でもあれは。それに、何も王宮で……既製品で十分。いえ、お古でも」
「――アニエス」
「……はい」
穏やかな声ではあるが抗い難い圧に、アニエスはうなずくことしかできない。
さすがは生粋の王族だ。
声を荒げたりしつこく言い続けることで相手を諦めさせるへなちょこ王族とは、声の持つ力が違う。
「俺は愛しい番を甘やかす。手始めに、アニエスの美しい髪と可愛らしい姿に合うワンピースを作る。これは決定事項だ。いいね」
「は、はい」
少し怯える様子に気付いたのか、クロードは苦笑しながらアニエスの頭を撫でる。
「まずは採寸から。さあ、行っておいで」
促されるまま女性に連れていかれると、そのまま採寸が始まった。
いくら地味なフィリップ仕様でも、ドレスを作るとなれば採寸は必須だ。
なので当然アニエスも経験があったが、その何倍も細かい測定に、終わる頃にはぐったりと疲労していた。
「おかえり、アニエス」
「……はい」
クロードの待つソファーに沈むように座ると、そのまま眠れるような気さえした。
「――ようやくお会いできましたね。噂に違わず美しい髪の色の、可愛らしい方!」
突然のハイテンションな女性の登場に、アニエスは慌てて上体を起こす。
「王宮の服飾部門の代表、ドゥラランドだ。綺麗なものに目がない」
ドゥラランドと呼ばれた女性は礼をすると、早速アニエスのそばにひざまずいた。
「本当になんて深みがあって美しい桃花色。傷みもないし、絹糸にも勝る艶も素晴らしい。お顔立ちも可愛らしいですし、お肌もきめが細かくて、瞳も」
矢継ぎ早に出てくる言葉と至近距離で見つめられることに驚いていると、ドゥラランドの声が止んだ。
「まあ、なんて綺麗な緑青の瞳。この国では珍しい色ですね」
「そうなんですか?」
確かに同じ色は父くらいしか見たことはない。
だが桃花色の髪ほどは珍しくもないだろうし、気にしたこともなかった。
「緑も青も多いですが、中間の色はあまり見かけませんね。隣国ではたまに見かけると聞いたことがあります」
「父が隣国の出身なんです」
父と同じ瞳の色が美しいと言われて嬉しくなったアニエスは、身を乗り出す。
「なるほど。ではお父様の美しい色を受け継いだのですね。確か隣国で緑青は、高貴な祝福の色と言われています」
「そうなのか?」
クロードも知らなかったらしく、興味深そうに聞いている。
「私の祖母が、隣国オレイユの出でした」
ドゥラランドがそう言った瞬間、アニエスの脳裏に懐かしい声が響いた。
『――アニエス。私の宝物。祝福の瞳と桃花色の髪を持つ、キノコのお姫様。……どうか、幸せに』
父の、声だ。
これはあの馬車の中……事故の時の記憶だろうか。
母の金髪と鳶色の瞳も脳裏に浮かぶ。
ブノワやケヴィンも同じ色の瞳だったから、あの事故の後も慰められたのを憶えている。
父は薄紅の髪と緑青の瞳で、瞳と同じ緑青色の指輪をいつもしていた。
そういえば、優しい父は男の子達がからかってつけた『キノコ姫』の名を、決して呼ばなかったはず。
なのに何故、『キノコのお姫様』なんて呼ぶのだろう。
これは記憶ではなくて、勝手な夢なのだろうか。
「――アニエス?」
クロードの声に我に返ると、何だか頬が冷たい。
手を当ててみると、どうやら知らぬ間に涙を流していたようだった。
「何かお気に障りましたか? 申し訳ございません」
ドゥラランドが頭を下げるのを見て、慌てて首を振る。
アニエスの動きに合わせて、涙の雫があたりに飛び散った。
「――ち、違うんです。すみません。私」
混乱しながら謝罪するアニエスの頭を、クロードが抱き寄せる。
「大丈夫だから。落ち着いて」
甘い果実の香りに包まれ、穏やかな声に心を撫でられ。
ようやく少し落ち着いたアニエスは、深く息を吐いた。
============
【今日のキノコ】
アミガサタケ(網笠茸)
柄の上に淡褐色のデコボコした網目状の頭部が乗っているキノコ。
煮物や汁物になるが、生では有毒なので茹でこぼす……何故、人は労力を惜しまず、命を懸けてもキノコを食べるのか。
アニエスが服を作ると聞いて、自身の特徴的な頭部を飾りに使ってもらえないかと思って生えてきた。
「飾りでもいいし、頑張って乾燥すればボタンもいける気がする」と訴え、いずれ一緒にお散歩したいと夢を膨らませている。