【1/2 英語版③巻オーディオブック発売・電子先行③巻発売中】竜の番のキノコ姫 ~運命だと婚約破棄されたら、キノコの変態がやってきました~ 第2章
29 キノコはどういう扱いですか
「……お久しぶりです」
以前に会ったのは王太子の婚姻を祝う舞踏会だっただろうか。
飴色の髪は美しく結われ、若葉色の瞳に緑色のドレスがよく映えて似合っていた。
サビーナがいるということは、フィリップもこの会場にいるのか。
ちらりと周囲を見回すと、それに気付いたらしいサビーナが眉を顰めた。
「探してもフィリップ様はいませんよ。今日は父と一緒に来ましたから」
「そうですか」
様子が気にならないと言えば嘘になるが、会いたくはない。
正直、いないのはありがたかった。
ほっと息をつくアニエスに対して、サビーナの表情は曇ったままだ。
「ここひと月ほど、フィリップ様とお会いしていません。あなた、何か知っていますか?」
「いいえ。顔を合わせることもありませんので」
「……それもそうですね」
サビーナはつまらなそうにそう言うと、ようやく眉間の皺を伸ばした。
「あの、私に何か御用でしょうか」
「……あなた、フィリップ様に貴族の名前や領地の情報を耳打ちしていたというのは、本当ですか?」
急な話題の変化に戸惑うが、ここで嘘を言っても仕方がない。
「はい。フィリップ様が何も憶えていなかったので」
正直に答えると、サビーナの麗しい眉が一気に顰められた。
「何ですか、それ。ふざけないでください。おかげで、私がその役目をするべきだと言われているんです。冗談じゃありません。王族に関わる貴族の顔と名前に領地の情報だなんて、どれだけ膨大だと思っているんですか。……あなたがそうやってフィリップ様を甘やかすから、憶えようとしなかったのでは?」
「そんなことはありません。私もきちんと憶えるよう何度も注意しましたし、促しました。それでもフィリップ様が」
「――人のせいにしないでください!」
アニエスの言葉が終わらぬうちに叫ぶと、サビーナは不愉快そうに短く息を吐いた。
「……もう、すべてあなたのせいです。王族を外れるにしても、血筋はいいし、顔もいいし、社交の評判もまずまずだったのに。あなたが支えていた評判だったなんて、ありえません。本当に迷惑です。不愉快です」
矢継ぎ早にそう言ってアニエスをひと睨みすると、そのままサビーナは立ち去って行った。
突然の襲来からのやりとりに、思考と心がついてこない。
呆然とサビーナを見送ると、意図せず吐息が漏れた。
フィリップが本来憶えるべきものを学ばなかったのは、フィリップ自身のせいだ。
だがそのままでは立ち行かず、他の人に迷惑をかけてはいけないからと、仕方なくアニエスが耳打ちしていた。
もちろん、自分で学んで憶えるように何度も言ったし、かなり厳しめに勉強させたこともある。
だが本人にやる気がなければ身につくものも身につかず、結局はそのままだった。
……あれは、アニエスが悪かったのだろうか。
アニエスがもっとうまく立ち回れたら、フィリップはやる気を出して学び、しっかりとした対応をできるようになったのだろうか。
そんなことはないと思う心はあるが、それ以上に自分も悪かったのかもしれないという心が膨らんで、どんどん顔が下を向いていく。
「……私、色んな人に迷惑をかけているのでしょうか」
クロードはアニエスを番だと言っているし、好意を持ってくれている。
アニエスもクロードのことは好きだが、だからこそ迷惑をかけるようなことはしたくなかった。
「……一緒にいない方が、いいのでしょうか」
そんなことをクロードは言わないし、思わない。
わかっているのに、心をモヤモヤとした何かが覆っていく。
逆らう術もなくそれに沈みかけた時、誰かがアニエスの前に立った。
「お待たせ。このジュースのフルーツに刺してあるピックが、キノコの形でね。色んな色があるから迷ってしまって……どうしたの? 何かあった?」
アニエスは首を振ると、クロードの手からグラスを受け取る。
檸檬の香りのジュースには葡萄の粒が入っていて、ピンク色のキノコのピックがついていた。
ひとくちのどを潤すと、少し心が落ち着いたような気がする。
気付かれないように小さなため息をつくと、できるだけ自然な笑みを浮かべた。
「ちょっと、バルテ侯爵令嬢とお会いしただけです」
「――フィリップが来ているのか」
クロードは表情を曇らせると、すぐに辺りを見回す。
「いえ。フィリップ様は来ていないそうです」
「そうか。……それで、何を言われたの?」
「たいしたことではありません」
アニエスの言葉と同時に破裂音が響き、クロードの腕にキノコが生える。
褐色の傘と柄を持つのは、コザラミノシメージだ。
ゆらゆらと揺れるキノコを見ていると、クロードのため息が聞こえた。
「たいしたことないなら、そんな顔をしていないし、キノコも生えない」
「え。キノコはどういう扱いなんですか」
アニエスが思わず尋ねると、クロードはキノコをむしって微笑んだ。
「キノコはね、美しく、美味しい、素晴らしい存在だよ」
……どうしよう。
またキノコの変態が、自分の美貌を顧みずに何か言っている。
何と返したらいいのか悩んでいると、ポケットにキノコをしまったクロードが、アニエスの手を握った。
「……それで?」
至近距離でにこりと微笑まれれば、抗うのは難しい。
それに、話をしてわかってもらいたいという気持ちが心の奥にあるのがわかる。
クロードなら、きっと頭ごなしに否定しない。
だから、大丈夫。
アニエスは意を決して、事の次第を説明し始めた。
「……それはまた、勝手な話だな」
話を聞き終えると、クロードは手にしていたグラスの中身を飲み干した。
「アニエスは何も悪くないよ。フィリップが自分の務めを果たさなかっただけだし、それを見極められず、支えることもできないバルテ侯爵令嬢の方の問題だ。おおかた、フィリップの扱いが手に余って、アニエスに八つ当たりしたんだろう」
クロードはアニエスの空のグラスを取り上げると、自身のグラスと共に近くのテーブルに置く。
「公開婚約破棄騒動を起こした以上、二人は婚約せざるを得ない。逃げられないし、仮に別れても互いに評判が悪いからね。自業自得。……だから、アニエスが気に病むことはないよ」
「……はい」
うなずくアニエスの頭を、クロードの手が優しく撫でる。
ただそれだけなのに、どうしてこんなに安心できるのだろう。
「――よし。それじゃあ、今度、街に出掛けようか」
「街、ですか?」
「そう。デートだね」
その一言に、アニエスの頬がさっと赤くなる。
クロードと出掛けたことはあるが、デートと言われると何倍も恥ずかしい。
「ワンピースを届けさせるから、必ずそれを着てね」
「は、はい」
恥ずかしいけれど、嬉しいし、楽しみだと思う。
先程までのモヤモヤがあっという間に消え去り、心がすっと晴れていく。
この気持ちを何と言えばいいのかわからずクロードを見上げると、鈍色の瞳が優しく細められた。
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今日も控えめの1キノコです。
【今日のキノコ】
コザラミノシメジ(小粗面胞子占地)
褐色の傘と柄を持つ食用キノコで、肉は小麦粉に似たにおいがする。
「ザラミ」という名前は、胞子にある小さなイボがザラザラしていることに由来する。
「たいしたことあるよ。アニエスの心がザラザラしているよ」とクロードに訴えるために生えてきた。
以前に会ったのは王太子の婚姻を祝う舞踏会だっただろうか。
飴色の髪は美しく結われ、若葉色の瞳に緑色のドレスがよく映えて似合っていた。
サビーナがいるということは、フィリップもこの会場にいるのか。
ちらりと周囲を見回すと、それに気付いたらしいサビーナが眉を顰めた。
「探してもフィリップ様はいませんよ。今日は父と一緒に来ましたから」
「そうですか」
様子が気にならないと言えば嘘になるが、会いたくはない。
正直、いないのはありがたかった。
ほっと息をつくアニエスに対して、サビーナの表情は曇ったままだ。
「ここひと月ほど、フィリップ様とお会いしていません。あなた、何か知っていますか?」
「いいえ。顔を合わせることもありませんので」
「……それもそうですね」
サビーナはつまらなそうにそう言うと、ようやく眉間の皺を伸ばした。
「あの、私に何か御用でしょうか」
「……あなた、フィリップ様に貴族の名前や領地の情報を耳打ちしていたというのは、本当ですか?」
急な話題の変化に戸惑うが、ここで嘘を言っても仕方がない。
「はい。フィリップ様が何も憶えていなかったので」
正直に答えると、サビーナの麗しい眉が一気に顰められた。
「何ですか、それ。ふざけないでください。おかげで、私がその役目をするべきだと言われているんです。冗談じゃありません。王族に関わる貴族の顔と名前に領地の情報だなんて、どれだけ膨大だと思っているんですか。……あなたがそうやってフィリップ様を甘やかすから、憶えようとしなかったのでは?」
「そんなことはありません。私もきちんと憶えるよう何度も注意しましたし、促しました。それでもフィリップ様が」
「――人のせいにしないでください!」
アニエスの言葉が終わらぬうちに叫ぶと、サビーナは不愉快そうに短く息を吐いた。
「……もう、すべてあなたのせいです。王族を外れるにしても、血筋はいいし、顔もいいし、社交の評判もまずまずだったのに。あなたが支えていた評判だったなんて、ありえません。本当に迷惑です。不愉快です」
矢継ぎ早にそう言ってアニエスをひと睨みすると、そのままサビーナは立ち去って行った。
突然の襲来からのやりとりに、思考と心がついてこない。
呆然とサビーナを見送ると、意図せず吐息が漏れた。
フィリップが本来憶えるべきものを学ばなかったのは、フィリップ自身のせいだ。
だがそのままでは立ち行かず、他の人に迷惑をかけてはいけないからと、仕方なくアニエスが耳打ちしていた。
もちろん、自分で学んで憶えるように何度も言ったし、かなり厳しめに勉強させたこともある。
だが本人にやる気がなければ身につくものも身につかず、結局はそのままだった。
……あれは、アニエスが悪かったのだろうか。
アニエスがもっとうまく立ち回れたら、フィリップはやる気を出して学び、しっかりとした対応をできるようになったのだろうか。
そんなことはないと思う心はあるが、それ以上に自分も悪かったのかもしれないという心が膨らんで、どんどん顔が下を向いていく。
「……私、色んな人に迷惑をかけているのでしょうか」
クロードはアニエスを番だと言っているし、好意を持ってくれている。
アニエスもクロードのことは好きだが、だからこそ迷惑をかけるようなことはしたくなかった。
「……一緒にいない方が、いいのでしょうか」
そんなことをクロードは言わないし、思わない。
わかっているのに、心をモヤモヤとした何かが覆っていく。
逆らう術もなくそれに沈みかけた時、誰かがアニエスの前に立った。
「お待たせ。このジュースのフルーツに刺してあるピックが、キノコの形でね。色んな色があるから迷ってしまって……どうしたの? 何かあった?」
アニエスは首を振ると、クロードの手からグラスを受け取る。
檸檬の香りのジュースには葡萄の粒が入っていて、ピンク色のキノコのピックがついていた。
ひとくちのどを潤すと、少し心が落ち着いたような気がする。
気付かれないように小さなため息をつくと、できるだけ自然な笑みを浮かべた。
「ちょっと、バルテ侯爵令嬢とお会いしただけです」
「――フィリップが来ているのか」
クロードは表情を曇らせると、すぐに辺りを見回す。
「いえ。フィリップ様は来ていないそうです」
「そうか。……それで、何を言われたの?」
「たいしたことではありません」
アニエスの言葉と同時に破裂音が響き、クロードの腕にキノコが生える。
褐色の傘と柄を持つのは、コザラミノシメージだ。
ゆらゆらと揺れるキノコを見ていると、クロードのため息が聞こえた。
「たいしたことないなら、そんな顔をしていないし、キノコも生えない」
「え。キノコはどういう扱いなんですか」
アニエスが思わず尋ねると、クロードはキノコをむしって微笑んだ。
「キノコはね、美しく、美味しい、素晴らしい存在だよ」
……どうしよう。
またキノコの変態が、自分の美貌を顧みずに何か言っている。
何と返したらいいのか悩んでいると、ポケットにキノコをしまったクロードが、アニエスの手を握った。
「……それで?」
至近距離でにこりと微笑まれれば、抗うのは難しい。
それに、話をしてわかってもらいたいという気持ちが心の奥にあるのがわかる。
クロードなら、きっと頭ごなしに否定しない。
だから、大丈夫。
アニエスは意を決して、事の次第を説明し始めた。
「……それはまた、勝手な話だな」
話を聞き終えると、クロードは手にしていたグラスの中身を飲み干した。
「アニエスは何も悪くないよ。フィリップが自分の務めを果たさなかっただけだし、それを見極められず、支えることもできないバルテ侯爵令嬢の方の問題だ。おおかた、フィリップの扱いが手に余って、アニエスに八つ当たりしたんだろう」
クロードはアニエスの空のグラスを取り上げると、自身のグラスと共に近くのテーブルに置く。
「公開婚約破棄騒動を起こした以上、二人は婚約せざるを得ない。逃げられないし、仮に別れても互いに評判が悪いからね。自業自得。……だから、アニエスが気に病むことはないよ」
「……はい」
うなずくアニエスの頭を、クロードの手が優しく撫でる。
ただそれだけなのに、どうしてこんなに安心できるのだろう。
「――よし。それじゃあ、今度、街に出掛けようか」
「街、ですか?」
「そう。デートだね」
その一言に、アニエスの頬がさっと赤くなる。
クロードと出掛けたことはあるが、デートと言われると何倍も恥ずかしい。
「ワンピースを届けさせるから、必ずそれを着てね」
「は、はい」
恥ずかしいけれど、嬉しいし、楽しみだと思う。
先程までのモヤモヤがあっという間に消え去り、心がすっと晴れていく。
この気持ちを何と言えばいいのかわからずクロードを見上げると、鈍色の瞳が優しく細められた。
============
今日も控えめの1キノコです。
【今日のキノコ】
コザラミノシメジ(小粗面胞子占地)
褐色の傘と柄を持つ食用キノコで、肉は小麦粉に似たにおいがする。
「ザラミ」という名前は、胞子にある小さなイボがザラザラしていることに由来する。
「たいしたことあるよ。アニエスの心がザラザラしているよ」とクロードに訴えるために生えてきた。