【1/2 英語版③巻オーディオブック発売・電子先行③巻発売中】竜の番のキノコ姫 ~運命だと婚約破棄されたら、キノコの変態がやってきました~ 第2章
38 キノコの騎士と釘
「――アニエス! アルマン兄上、どうしました?」
アルマンはクロードにアニエスの手を渡すと、肩をすくめた。
「フィリップに絡まれていました」
「……フィリップが、来ているんですか」
クロードの鈍色の瞳が鋭く光るのを見て、アルマンはため息をついた。
「大切ならば、目を離さないことですね。でないと……失いかねませんよ」
「……気を付けます。ありがとうございました」
手を上げて立ち去るアルマンに礼をすると、クロードは俯くアニエスに向き直った。
「クロード様、すみませんでした。私の不注意で、皆様にご迷惑をおかけしてしまって」
そこまで言うと何だか情けなくなってきて、涙が浮かびそうになるのを堪える。
「あの、私は先にお暇します」
頭を下げてそのまま退出しようとするアニエスの手を、クロードが掴んだ。
「待って。……何があったの?」
優しい声が、今はつらい。
このまま話していたら、泣いてしまいそうだ。
破裂音が耳に届いたが、キノコを確認するために顔を上げることもできない。
「何も……。私が悪いのです。気を付けます。失礼します」
俯いたまま手を振りほどこうとしていると、頭上からため息が降ってきた……かと思えば、あっという間にアニエスは抱え上げられた。
「――な、何を?」
混乱と羞恥で慌てるアニエスに、クロードはまったく動じない。
「無理しなくていい。帰るなら、送るよ」
そう言って、すたすたと会場内を抜けて、回廊に出ていく。
「あの、歩けます。ひとりで帰れます」
一生懸命訴えるのだが、クロードの足は止まらないし、おろしてもくれない。
「……まったく。ようやく解れてきたところなのに、またこんなに頑なにさせて。――許し難いな」
普段よりも低い声には明らかな怒気がこもっていて、恐怖を感じたアニエスは小さく震えた。
クロードの肩には褐色の傘と柄のキノコが生えているが、先程の破裂音はこのコザラミノシメージだろう。
キノコの変態がキノコをむしらないどころか、一瞥さえもしないというのは尋常ではない。
何となく声をかけづらくてそのまま黙ると、馬車の中に運ばれ、椅子に降ろされる。
だがクロードは最初から隣に座った上に、すぐにアニエスを抱きしめた。
腕の中にすっぽりと収められたまま身動きが取れないが、これは一体どういうことなのだろう。
「あ、あの、クロード様」
「――ちょっと黙って」
黙れと言われたので口を閉ざしたが、いつまでこうしているのだろう。
そもそも、何故抱きしめられているのかがわからない。
クロードからすれば、周囲に迷惑をかけたらしいアニエスが帰ると言っただけ。
事情を聞こうとするならわかるし、先程は怒っているようだったのに、何故こうなったのか。
アニエスを包み込む腕には力がこもっていて、若干息苦しい。
この苦しさがアニエスに対する罰なのかとと一瞬思ったが、クロードはそんなことをする人ではない。
ならば、ただ抱きしめているということになるが……やはり、よくわからなかった。
「……うん。少し落ち着いた」
「え?」
謎の宣言と共に、アニエスを包んでいた腕が緩む。
普通に隣に座る形にはなったが、アニエスの手はぎゅっと握られたままだ。
「それで、何があったの? 教えて」
移動していた時の怒りはもう消えていて、いつものように優しい声だ。
何だったのだろうかと見上げると、鈍色の瞳がゆっくりと細められた。
「……やっと、目を見てくれた」
蕩けるような笑みに慌てて視線を逸らすと、クロードの手が頬に伸びる。
「駄目。こっちを見て」
両手で頬を包み込むように触れられ、クロードに顔を向けられれば、目の前に美しい鈍色の瞳が迫る。
「フィリップに、何を言われたの?」
吐息がかかるほどの近さに一気に鼓動が激しくなり、頬が熱くなっていくのがわかった。
「――と」
「と?」
「頭皮が、ただれて。つるっと、毛が、いなくなり……ました」
「……は?」
鼓動のせいで途切れ途切れにどうにか伝えると、それまで真剣な顔だったクロードの口がぽかんと開いた。
その瞬間、まるで相槌を打つかのように破裂音が響き、クロードの頭頂部にキノコが生える。
つるんと丸みを帯びた赤い傘はタマゴターケだ。
生えた場所がフィリップの頭皮ツルツルポイントと同じなのは、わざとなのだろうか。
「そ、それから。手足と、色々……痛かった、そうです」
どうにか全部報告を終えるのと、クロードが噴き出すのはほとんど同時だった。
顔を固定していた手が離れてようやく自由になったアニエスは、ほてった頬を自分の手で冷やす。
その間もクロードは笑い続けていた。
「そ、そう。それはまた……自業自得とはいえ……」
ひとしきり笑ったクロードは、肩と頭に生えたキノコをむしる。
「君達が頑張ったの?」
クロードがコザラミノシメージとタマゴターケに話しかけると、破裂音があたりに響く。
手の甲の部分にハマグリ型のこぶのように生えているのは、ヒトクチターケだ。
全体はクリーム色で、上部はキャラメルソースがかかったような光沢があり、遠目に見れば手袋の飾りに見えなくもない……かもしれない。
「アニエスには、頼もしい騎士がついているね」
「キノコの騎士……?」
今のところ、食卓を飾るか相手をキノコまみれにするかという感じだが、これは騎士と呼んでもいいものなのだろうか。
悩むアニエスを見てクロードは微笑むと、楽しそうにキノコをむしってポケットに入れる。
「それで? 他には何を言われたの?」
「あの。キノコはすべて私のせいだと。クロード様と婚約していないことを確認されて、そばにいて社交の補助をしろと言われました。もう無関係だと言ったのですが、関係あるの一点張りで」
「なるほど。……釘を刺すくらいじゃ、効かないか」
キノコ入りのポケットを愛し気に叩いていたクロードだが、呟いた声は思いの外低い。
驚いて見上げると、鈍色の瞳が暗く光った。
============
【今日のキノコ】
コザラミノシメジ(「キノコはどういう扱いですか」参照)
褐色の傘と柄を持つ食用キノコで、肉は小麦粉に似たにおいがする。
「ザラミ」という名前は、胞子にある小さなイボがザラザラしていることに由来する。
「何もなくないよ。アニエスの心がザラザラしているよ」とクロードに訴えるために生えてきた。
タマゴタケ(卵茸)
卵型、饅頭型、平らな形に変化する、赤いキノコ。
似ている毒キノコも多く、安易に食べてはいけないが、食べたら美味しい。
「湯上り卵肌」という言葉は自分のことだと思って茹でられてみたところ、美味しく食べられてしまったことがある、うっかりキノコ。
頭がツルツルと聞いたので、「ここをツルツルにしたんだよ」と教えるために頭頂部に生えてきた。
ヒトクチタケ(一口茸)
樹木の側面に沿ったハマグリ型で、下部はクリーム色、上部は褐色で光沢があるキノコ。
木にめり込んだ栗饅頭という感じ。
美味しそうな名前に、美味しそうな見た目だが、美味しくないらしい。
クロードに褒められるチャンスだと、どさくさに紛れて出て来た、ちゃっかりキノコ。
ツルツルという話をしていたので、自分の光沢のある部分をアニエスに撫でてもらえるかもしれないと期待に胞子を膨らませて待っている。
アルマンはクロードにアニエスの手を渡すと、肩をすくめた。
「フィリップに絡まれていました」
「……フィリップが、来ているんですか」
クロードの鈍色の瞳が鋭く光るのを見て、アルマンはため息をついた。
「大切ならば、目を離さないことですね。でないと……失いかねませんよ」
「……気を付けます。ありがとうございました」
手を上げて立ち去るアルマンに礼をすると、クロードは俯くアニエスに向き直った。
「クロード様、すみませんでした。私の不注意で、皆様にご迷惑をおかけしてしまって」
そこまで言うと何だか情けなくなってきて、涙が浮かびそうになるのを堪える。
「あの、私は先にお暇します」
頭を下げてそのまま退出しようとするアニエスの手を、クロードが掴んだ。
「待って。……何があったの?」
優しい声が、今はつらい。
このまま話していたら、泣いてしまいそうだ。
破裂音が耳に届いたが、キノコを確認するために顔を上げることもできない。
「何も……。私が悪いのです。気を付けます。失礼します」
俯いたまま手を振りほどこうとしていると、頭上からため息が降ってきた……かと思えば、あっという間にアニエスは抱え上げられた。
「――な、何を?」
混乱と羞恥で慌てるアニエスに、クロードはまったく動じない。
「無理しなくていい。帰るなら、送るよ」
そう言って、すたすたと会場内を抜けて、回廊に出ていく。
「あの、歩けます。ひとりで帰れます」
一生懸命訴えるのだが、クロードの足は止まらないし、おろしてもくれない。
「……まったく。ようやく解れてきたところなのに、またこんなに頑なにさせて。――許し難いな」
普段よりも低い声には明らかな怒気がこもっていて、恐怖を感じたアニエスは小さく震えた。
クロードの肩には褐色の傘と柄のキノコが生えているが、先程の破裂音はこのコザラミノシメージだろう。
キノコの変態がキノコをむしらないどころか、一瞥さえもしないというのは尋常ではない。
何となく声をかけづらくてそのまま黙ると、馬車の中に運ばれ、椅子に降ろされる。
だがクロードは最初から隣に座った上に、すぐにアニエスを抱きしめた。
腕の中にすっぽりと収められたまま身動きが取れないが、これは一体どういうことなのだろう。
「あ、あの、クロード様」
「――ちょっと黙って」
黙れと言われたので口を閉ざしたが、いつまでこうしているのだろう。
そもそも、何故抱きしめられているのかがわからない。
クロードからすれば、周囲に迷惑をかけたらしいアニエスが帰ると言っただけ。
事情を聞こうとするならわかるし、先程は怒っているようだったのに、何故こうなったのか。
アニエスを包み込む腕には力がこもっていて、若干息苦しい。
この苦しさがアニエスに対する罰なのかとと一瞬思ったが、クロードはそんなことをする人ではない。
ならば、ただ抱きしめているということになるが……やはり、よくわからなかった。
「……うん。少し落ち着いた」
「え?」
謎の宣言と共に、アニエスを包んでいた腕が緩む。
普通に隣に座る形にはなったが、アニエスの手はぎゅっと握られたままだ。
「それで、何があったの? 教えて」
移動していた時の怒りはもう消えていて、いつものように優しい声だ。
何だったのだろうかと見上げると、鈍色の瞳がゆっくりと細められた。
「……やっと、目を見てくれた」
蕩けるような笑みに慌てて視線を逸らすと、クロードの手が頬に伸びる。
「駄目。こっちを見て」
両手で頬を包み込むように触れられ、クロードに顔を向けられれば、目の前に美しい鈍色の瞳が迫る。
「フィリップに、何を言われたの?」
吐息がかかるほどの近さに一気に鼓動が激しくなり、頬が熱くなっていくのがわかった。
「――と」
「と?」
「頭皮が、ただれて。つるっと、毛が、いなくなり……ました」
「……は?」
鼓動のせいで途切れ途切れにどうにか伝えると、それまで真剣な顔だったクロードの口がぽかんと開いた。
その瞬間、まるで相槌を打つかのように破裂音が響き、クロードの頭頂部にキノコが生える。
つるんと丸みを帯びた赤い傘はタマゴターケだ。
生えた場所がフィリップの頭皮ツルツルポイントと同じなのは、わざとなのだろうか。
「そ、それから。手足と、色々……痛かった、そうです」
どうにか全部報告を終えるのと、クロードが噴き出すのはほとんど同時だった。
顔を固定していた手が離れてようやく自由になったアニエスは、ほてった頬を自分の手で冷やす。
その間もクロードは笑い続けていた。
「そ、そう。それはまた……自業自得とはいえ……」
ひとしきり笑ったクロードは、肩と頭に生えたキノコをむしる。
「君達が頑張ったの?」
クロードがコザラミノシメージとタマゴターケに話しかけると、破裂音があたりに響く。
手の甲の部分にハマグリ型のこぶのように生えているのは、ヒトクチターケだ。
全体はクリーム色で、上部はキャラメルソースがかかったような光沢があり、遠目に見れば手袋の飾りに見えなくもない……かもしれない。
「アニエスには、頼もしい騎士がついているね」
「キノコの騎士……?」
今のところ、食卓を飾るか相手をキノコまみれにするかという感じだが、これは騎士と呼んでもいいものなのだろうか。
悩むアニエスを見てクロードは微笑むと、楽しそうにキノコをむしってポケットに入れる。
「それで? 他には何を言われたの?」
「あの。キノコはすべて私のせいだと。クロード様と婚約していないことを確認されて、そばにいて社交の補助をしろと言われました。もう無関係だと言ったのですが、関係あるの一点張りで」
「なるほど。……釘を刺すくらいじゃ、効かないか」
キノコ入りのポケットを愛し気に叩いていたクロードだが、呟いた声は思いの外低い。
驚いて見上げると、鈍色の瞳が暗く光った。
============
【今日のキノコ】
コザラミノシメジ(「キノコはどういう扱いですか」参照)
褐色の傘と柄を持つ食用キノコで、肉は小麦粉に似たにおいがする。
「ザラミ」という名前は、胞子にある小さなイボがザラザラしていることに由来する。
「何もなくないよ。アニエスの心がザラザラしているよ」とクロードに訴えるために生えてきた。
タマゴタケ(卵茸)
卵型、饅頭型、平らな形に変化する、赤いキノコ。
似ている毒キノコも多く、安易に食べてはいけないが、食べたら美味しい。
「湯上り卵肌」という言葉は自分のことだと思って茹でられてみたところ、美味しく食べられてしまったことがある、うっかりキノコ。
頭がツルツルと聞いたので、「ここをツルツルにしたんだよ」と教えるために頭頂部に生えてきた。
ヒトクチタケ(一口茸)
樹木の側面に沿ったハマグリ型で、下部はクリーム色、上部は褐色で光沢があるキノコ。
木にめり込んだ栗饅頭という感じ。
美味しそうな名前に、美味しそうな見た目だが、美味しくないらしい。
クロードに褒められるチャンスだと、どさくさに紛れて出て来た、ちゃっかりキノコ。
ツルツルという話をしていたので、自分の光沢のある部分をアニエスに撫でてもらえるかもしれないと期待に胞子を膨らませて待っている。