【1/2 英語版③巻オーディオブック発売・電子先行③巻発売中】竜の番のキノコ姫 ~運命だと婚約破棄されたら、キノコの変態がやってきました~ 第2章
39 心の奥が溶けていく
「それで? 他にもあるだろう?」
「え、あの」
少し怖くなったアニエスが視線を逸らすと、再びクロードの両手がアニエスの頬を包み込んだ。
「こっちを見て」
「わ、私が至らないので……」
「そうじゃない。誰に何を言われたの。……そこまで隠すのなら、兄上達?」
図星を指されてびくりと肩を震わせてしまい、クロードが納得したようにうなずいて手を放した。
こうなっては、隠すのはもう無理だ。
意を決すると、アニエスは深呼吸をした。
「ジェローム殿下に、『早く婚約しろ。恋人気分では困る。自覚を持て』と。それからアルマン殿下に、『警戒心が足りない』と。……その通りだと思います。私、クロード様にも皆様にもご迷惑をおかけして。申し訳なくて」
ぎゅっと握りしめた拳に、クロードの手がそっと重ねられる。
「それで、か」
クロードのため息が聞こえたと思ったら、あっという間にその腕の中に抱きしめられた。
「……大丈夫」
甘い果実の香りに包まれ、優しく頭を撫でられ、少しずつ強張っていた心が溶けていく。
こんな風に頼り切ってしまうのはいけないと思うけれど、今はこの心地良さに浸っていたかった。
「兄上達は、心配してくれているんだ。叔父上の前例を見て、番の重要性を知っているからね」
確かに、番がいないことが原因で衰弱する人を間近に見ていたら、さっさと婚約しないのはもどかしく感じることだろう。
クロードを心配すればこそ、アニエスの対応に苛立って当然だ。
「それから、竜紋を持つ者と持たない者で、それなりに色々ある。アニエスに少し八つ当たりしている部分もあるかな」
「色々、ですか?」
「王妃の子と側妃の子、竜紋持ちと持たない者。皆仲良しこよしというわけにもいかない。でも、別にいがみ合っているということもない。……まあ、大人の距離、かな」
「そうなんですね」
クロードは第四王子なのに、王位継承権は王太子に次ぐ第二位。
今までそこまで深く考えたことはなかったが、色々な軋轢があってもおかしくはない。
駄目押しとばかりに頭を撫でると、ようやくクロードはアニエスを腕の中から解放した。
「フィリップに関しては自業自得だから、一切気にしなくていい。……それで、他には?」
「それだけです」
「そう」
うなずいたクロードは、アニエスの手を取り、自身の手を重ねる。
「嫌なこと、つらいこと、何でもいい。アニエスの心が苦しくなるようなものはすべて、俺に吐き出して。解決できないとしても、話した方が楽になるよ」
クロードの手はリズムよくアニエスの手を撫でているが、まるで赤ちゃんをあやしているようだ。
情けない気もするが、実際に落ち着くのだからどうしようもなかった。
「フィリップのせいだろうけど、アニエスはそのあたりのガス抜きがちょっと下手くそだから。苦しくなる前に言って」
「でも」
何かある度にクロードに訴えるだなんて、それこそ子供のようだ。
手間もかかるし、迷惑をかけるし、情けないではないか。
「アニエスがひとりで抱えているのを見ると、俺もつらい。俺が駄目なら、ケヴィンでもいい。誰かに話して、頼ることを覚えよう。――君は邪魔じゃない。迷惑じゃない。甘えていい。……わがままレディを目指すんだろう?」
悪戯っぽく微笑まれ、アニエスの鼓動が跳ねる。
「それは……別に目指していません!」
クロードは笑うと、そっとアニエスを抱きしめる。
「もう、あんな顔をしないでくれ。泣きたい時には俺が胸を貸すから――ひとりにならないで」
「……はい」
抱きしめられて、撫でられて、安心している自分がいる。
ここにいてもいいのだ。
クロードはアニエスを必要としてくれる。
否定しないでくれる。
……それが伝わってきて、ゆるゆると心の奥の何かが溶けていくのがわかった。
ポンという破裂音と共に、クロードの腕にキノコが生える。
灰色の傘に中央に鱗片があるのは、ヒトヨターケだろう。
またしても謎のタイミングで生えてきたが、キノコの変態は嬉々としてむしり取り、楽し気に掲げている。
「ああ、ヒトヨターケだね。このキノコは一夜で傘とヒダが溶けてしまうんだよ。……今夜は徹夜だな」
キノコの変態のろくでもない予定に少し心の距離を感じるのは、仕方がないと思う。
というか、徹夜で何をするのだろう。
まさか溶けていく様を観察するのだろうか。
少しだけ気になったが、聞いたら後悔する気がしたので、やめておく。
「――そうだ。ゼナイド姉上のお茶会にアニエスが招待されたんだけど、行ける?」
ゼナイドというのは、確か王太子グザヴィエの妃で番の女性だったはずだ。
黒髪の優しそうな人だったし、グザヴィエと仲睦まじい様子だったのを憶えている。
「お茶会ということは、ひとりで参加ですよね?」
「そうだね。二日後にワトー公爵邸で開くというから、モーリスを送迎につけるよ。それで、大丈夫?」
次期王妃の招待となれば、理由もなく断ることはできない。
まして同じ番なのだから、交流するべきだろう。
「大丈夫、です」
「心配しないでも、ごく内輪って言っていたから。参加するのは数名だと思うよ」
それはそれでみっちり顔を合わせて話すことになるのだろうから緊張するが、仕方がない。
その時、ふとアニエスは重大な問題に気が付いた。
公爵家で開かれるお茶会には、一体何を着て行けばいいのだろう。
舞踏会に着るようなドレスは、さすがに昼間には相応しくないはず。
だがアニエスが持っている地味な色のワンピースは論外だ。
となると唯一の生き残りは先日のお出かけで着たワンピースだが、果たしてピンクの化身が公爵邸に近付いてもいいのだろうか。
とはいえ、二日では今から仕立てても間に合うかわからない。
こうなったらピンクの化身をベースにリメイクするしかないか。
久しぶりの針仕事に、アニエスの中の職人魂が疼いた。
「……どうかした?」
「いえ。服のことで……」
「ああ。それならすぐに届けさせるよ」
「え?」
リメイク案を検討して頭がいっぱいのアニエスに、クロードがにこりと微笑んだ。
「ワンピース一着しか届けていなかっただろう? 普段着のワンピースに、昼用のドレス、夜用のドレス。ちょうど仕立て終わる頃だ」
「そんなにたくさん、ですか?」
確かに王宮で採寸をしたから作ることは可能だろうが、既にワンピースを贈られていたので、あれで終わりだとばかり思っていた。
「これでも足りない。今度はアニエスも一緒に、生地から選ぼうね」
「は……はい」
満面の笑みからして、作らないという選択肢は選ばせてもらえそうにない。
ならばせめて、華やかすぎない色で、高価すぎない生地や装飾にしてもらわなければ。
……できる……だろうか?
色んな不安を抱えつつ、アニエスはとりあえず笑みを浮かべた。
============
【今日のキノコ】
ヒトヨタケ(一夜茸)
灰色の傘に中央に鱗片を持ち、名前の通り一夜で傘とヒダが溶けてしまう、とろけるキノコ。
毒キノコで毒成分の名前は、ゴブリン。
アルコールの分解を妨げるので、お酒と一緒に摂取してはいけない……その前に、毒キノコなので摂取しないでほしい。
アニエスが心が溶けると言ったので、「本物のとろける生き様を見せてあげよう」と生えてきた。
今夜はクロードと徹夜でとろける予定。
「え、あの」
少し怖くなったアニエスが視線を逸らすと、再びクロードの両手がアニエスの頬を包み込んだ。
「こっちを見て」
「わ、私が至らないので……」
「そうじゃない。誰に何を言われたの。……そこまで隠すのなら、兄上達?」
図星を指されてびくりと肩を震わせてしまい、クロードが納得したようにうなずいて手を放した。
こうなっては、隠すのはもう無理だ。
意を決すると、アニエスは深呼吸をした。
「ジェローム殿下に、『早く婚約しろ。恋人気分では困る。自覚を持て』と。それからアルマン殿下に、『警戒心が足りない』と。……その通りだと思います。私、クロード様にも皆様にもご迷惑をおかけして。申し訳なくて」
ぎゅっと握りしめた拳に、クロードの手がそっと重ねられる。
「それで、か」
クロードのため息が聞こえたと思ったら、あっという間にその腕の中に抱きしめられた。
「……大丈夫」
甘い果実の香りに包まれ、優しく頭を撫でられ、少しずつ強張っていた心が溶けていく。
こんな風に頼り切ってしまうのはいけないと思うけれど、今はこの心地良さに浸っていたかった。
「兄上達は、心配してくれているんだ。叔父上の前例を見て、番の重要性を知っているからね」
確かに、番がいないことが原因で衰弱する人を間近に見ていたら、さっさと婚約しないのはもどかしく感じることだろう。
クロードを心配すればこそ、アニエスの対応に苛立って当然だ。
「それから、竜紋を持つ者と持たない者で、それなりに色々ある。アニエスに少し八つ当たりしている部分もあるかな」
「色々、ですか?」
「王妃の子と側妃の子、竜紋持ちと持たない者。皆仲良しこよしというわけにもいかない。でも、別にいがみ合っているということもない。……まあ、大人の距離、かな」
「そうなんですね」
クロードは第四王子なのに、王位継承権は王太子に次ぐ第二位。
今までそこまで深く考えたことはなかったが、色々な軋轢があってもおかしくはない。
駄目押しとばかりに頭を撫でると、ようやくクロードはアニエスを腕の中から解放した。
「フィリップに関しては自業自得だから、一切気にしなくていい。……それで、他には?」
「それだけです」
「そう」
うなずいたクロードは、アニエスの手を取り、自身の手を重ねる。
「嫌なこと、つらいこと、何でもいい。アニエスの心が苦しくなるようなものはすべて、俺に吐き出して。解決できないとしても、話した方が楽になるよ」
クロードの手はリズムよくアニエスの手を撫でているが、まるで赤ちゃんをあやしているようだ。
情けない気もするが、実際に落ち着くのだからどうしようもなかった。
「フィリップのせいだろうけど、アニエスはそのあたりのガス抜きがちょっと下手くそだから。苦しくなる前に言って」
「でも」
何かある度にクロードに訴えるだなんて、それこそ子供のようだ。
手間もかかるし、迷惑をかけるし、情けないではないか。
「アニエスがひとりで抱えているのを見ると、俺もつらい。俺が駄目なら、ケヴィンでもいい。誰かに話して、頼ることを覚えよう。――君は邪魔じゃない。迷惑じゃない。甘えていい。……わがままレディを目指すんだろう?」
悪戯っぽく微笑まれ、アニエスの鼓動が跳ねる。
「それは……別に目指していません!」
クロードは笑うと、そっとアニエスを抱きしめる。
「もう、あんな顔をしないでくれ。泣きたい時には俺が胸を貸すから――ひとりにならないで」
「……はい」
抱きしめられて、撫でられて、安心している自分がいる。
ここにいてもいいのだ。
クロードはアニエスを必要としてくれる。
否定しないでくれる。
……それが伝わってきて、ゆるゆると心の奥の何かが溶けていくのがわかった。
ポンという破裂音と共に、クロードの腕にキノコが生える。
灰色の傘に中央に鱗片があるのは、ヒトヨターケだろう。
またしても謎のタイミングで生えてきたが、キノコの変態は嬉々としてむしり取り、楽し気に掲げている。
「ああ、ヒトヨターケだね。このキノコは一夜で傘とヒダが溶けてしまうんだよ。……今夜は徹夜だな」
キノコの変態のろくでもない予定に少し心の距離を感じるのは、仕方がないと思う。
というか、徹夜で何をするのだろう。
まさか溶けていく様を観察するのだろうか。
少しだけ気になったが、聞いたら後悔する気がしたので、やめておく。
「――そうだ。ゼナイド姉上のお茶会にアニエスが招待されたんだけど、行ける?」
ゼナイドというのは、確か王太子グザヴィエの妃で番の女性だったはずだ。
黒髪の優しそうな人だったし、グザヴィエと仲睦まじい様子だったのを憶えている。
「お茶会ということは、ひとりで参加ですよね?」
「そうだね。二日後にワトー公爵邸で開くというから、モーリスを送迎につけるよ。それで、大丈夫?」
次期王妃の招待となれば、理由もなく断ることはできない。
まして同じ番なのだから、交流するべきだろう。
「大丈夫、です」
「心配しないでも、ごく内輪って言っていたから。参加するのは数名だと思うよ」
それはそれでみっちり顔を合わせて話すことになるのだろうから緊張するが、仕方がない。
その時、ふとアニエスは重大な問題に気が付いた。
公爵家で開かれるお茶会には、一体何を着て行けばいいのだろう。
舞踏会に着るようなドレスは、さすがに昼間には相応しくないはず。
だがアニエスが持っている地味な色のワンピースは論外だ。
となると唯一の生き残りは先日のお出かけで着たワンピースだが、果たしてピンクの化身が公爵邸に近付いてもいいのだろうか。
とはいえ、二日では今から仕立てても間に合うかわからない。
こうなったらピンクの化身をベースにリメイクするしかないか。
久しぶりの針仕事に、アニエスの中の職人魂が疼いた。
「……どうかした?」
「いえ。服のことで……」
「ああ。それならすぐに届けさせるよ」
「え?」
リメイク案を検討して頭がいっぱいのアニエスに、クロードがにこりと微笑んだ。
「ワンピース一着しか届けていなかっただろう? 普段着のワンピースに、昼用のドレス、夜用のドレス。ちょうど仕立て終わる頃だ」
「そんなにたくさん、ですか?」
確かに王宮で採寸をしたから作ることは可能だろうが、既にワンピースを贈られていたので、あれで終わりだとばかり思っていた。
「これでも足りない。今度はアニエスも一緒に、生地から選ぼうね」
「は……はい」
満面の笑みからして、作らないという選択肢は選ばせてもらえそうにない。
ならばせめて、華やかすぎない色で、高価すぎない生地や装飾にしてもらわなければ。
……できる……だろうか?
色んな不安を抱えつつ、アニエスはとりあえず笑みを浮かべた。
============
【今日のキノコ】
ヒトヨタケ(一夜茸)
灰色の傘に中央に鱗片を持ち、名前の通り一夜で傘とヒダが溶けてしまう、とろけるキノコ。
毒キノコで毒成分の名前は、ゴブリン。
アルコールの分解を妨げるので、お酒と一緒に摂取してはいけない……その前に、毒キノコなので摂取しないでほしい。
アニエスが心が溶けると言ったので、「本物のとろける生き様を見せてあげよう」と生えてきた。
今夜はクロードと徹夜でとろける予定。