【1/2 英語版③巻オーディオブック発売・電子先行③巻発売中】竜の番のキノコ姫 ~運命だと婚約破棄されたら、キノコの変態がやってきました~ 第2章
42 公爵邸のお茶会
馬車を降り、使用人に案内されて向かったのは花が咲き誇る庭。
庭の入り口でモーリスと別れて進んでいくと、ひとりの少女がアニエスを見て満面の笑みを浮かべてやってきた。
「――アニエス様!」
黒髪に茜色の瞳の可愛らしい少女は、礼をすると瞳を輝かせている。
「嬉しいです。ずっとお会いしたかったんです。クロード殿下にお願いしてもかわされてばかりで……。今日は本当に幸せです。――ああ、夢にまで見た桃花色の髪! なんて綺麗なんでしょう。許されるなら頬ずりしたいです」
うっとりと見つめられているが、まったく事態が理解できない。
そもそもこの少女は誰なのだろう。
アニエスが困って周囲を見回すと、庭の奥から見たことのある黒髪の女性がやってきた。
「シモーヌ! いないと思ったら、こんなところで。ルフォール伯爵令嬢が困っているでしょう」
ゼナイドに注意されると、シモーヌと呼ばれた少女は慌てて背筋を正す。
「すみません、お姉様。私、嬉しくてつい。――さあ、行きましょう、アニエス様」
ゼナイドを姉と呼ぶからには、シモーヌは妹なのだろう。
そう言えば、以前にゼナイドの妹がアニエスに会いたいと言っているとクロードから聞いた気がする。
先程の様子からして、このシモーヌのことだったのだろう。
シモーヌに手を引かれて複雑な作りの庭を進んでいくと、庭木に囲まれた空間に真っ白なテーブルと椅子が並んでいた。
促されるままに座ると、その隣にシモーヌ、奥にゼナイドが座る。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「お茶会の参加者は三人だけですので、緊張しないで。私のことはゼナイドと呼んでください。私もあなたをアニエスと呼ばせてもらいます」
「はい。ありがとうございます、ゼナイド様」
うなずくアニエスを見て微笑む姿は、優雅で美しい。
さすがは生粋の貴族令嬢は、気品が違う。
「番は王妃殿下以外では私達二人だけですから。お話をしたかったのです。本当は二人で良かったのですが、妹がどうしても一緒がいいと。……シモーヌは、あなたの髪に惚れこんでいるのです」
惚れこむとは何だろうとシモーヌに視線を移すと、茜色の瞳と目が合った。
「だって、お姉様。見てください。つやつやとして絹のような滑らかな質感。桃の花をも凌駕する美しいピンク色。まるでおとぎの国から飛び出したようで素敵じゃありませんか。それに緑青の瞳も髪の色に合っていて、更に顔立ちまで可愛らしくて」
矢継ぎ早に捲し立てると、シモーヌは自身の頭を抱えた。
「ああ! どうして私は女なのでしょう。男に生まれていたら、絶対にアニエス様に求婚していました!」
「……はあ」
桃花色の髪を貶されたり厭われたりするのはいつものことだが、褒められるのに慣れていない。
もちろん嬉しいのだが、何と返答するべきなのかがわからない。
しかも、クロードも霞む絶賛ぶりなのだが……求婚とはどういうことだろう。
「その場合、クロードが潰しにきますよ」
「負けません……と言いたいですが、敵も手強いですね」
ゼナイドの物騒な指摘に何やら考え込むと、シモーヌはちらりとアニエスを見た。
「あの、アニエス様。髪に触れても、いいですか?」
「え? ……はい、どうぞ」
返答した瞬間に立ち上がったシモーヌは、あっという間にアニエスの背後に回った。
「うわ。サラサラ! 気持ちいい! 日の光を浴びて少し色味が変わって見えるところも、また素敵です。本当に、なんて綺麗なんでしょう。許されるならこの髪に包まれて死にたい……」
……何だろう。
さっきからちょいちょい妙な言葉が出ているのは、気のせいだろうか。
あわや髪に頬ずりをしそうなシモーヌを、いつの間にか立ち上がっていたゼナイドが引きずって椅子に戻す。
「ごめんなさいね、妹が」
「いいえ。……その。この髪は嫌われているものだとばかり」
「えー? こんなに綺麗なのに、ありえないです。その髪に触れるためなら地の果てまでも」
「シモーヌは少し黙りなさい」
ゼナイドに注意されると、唇を尖らせたシモーヌはお菓子を食べ始めた。
やはり変なことを言っているが、問いただしたら危険な気がするので聞かなかったことにしよう。
「アニエス。確かにこの国で桃花色の髪は珍しいです。色々口さがないことを言う者もいるでしょう。ですが、すべての人がそうではありません。私も、とても綺麗な色だと思いますよ」
「あ、ありがとうございます」
「お姉様ずるい! 私も! 私も死ぬほど好きです!」
聞いてはいけないフレーズには耳を閉ざしてうなずくと、シモーヌは変な歓声を上げてテーブルに突っ伏す。
その瞬間、破裂音と共にシモーヌの腕にキノコが生えた。
薄い黄褐色の半円形の傘は、ムキターケだ。
……何というタイミング。
王太子妃の妹である公爵令嬢にキノコを生やすなんて、失礼にも程がある。
まずは謝るべきか、いや先にむしるべきか。
一瞬の判断に迷っていると、顔を上げたシモーヌがキノコをむしり取った。
「……このキノコ、アニエス様が?」
何故すぐにアニエスの仕業とわかるのかと思ったが、よく考えれば王族に紹介された時に国王にキノコを生やすのをゼナイドは見ている。
恐らく、その時の話を妹にしたのだろう。
「す、すみません。体に害はないと思いますし、そのキノコも食用ですので……」
自分でもよくわからないフォローをしていると、シモーヌの口元がどんどん緩んでいく。
「――アニエス様のキノコ! 私、大事に取っておきます!」
ぎゅっとキノコを握りしめたシモーヌは、満面の笑みで瞳を輝かせている。
明らかにおかしな反応に、アニエスはひとつの可能性に気が付いた。
「……まさか、ここにもキノコの変態が……?」
「違いますよ、アニエス。……まあ、一種の変態です。放っておいてください」
一種の変態って何だろうとは思うが、先程から言動が少し怪しかったし、深追いはしない方が良さそうだ。
「キノコのこともそうですが、何かあれば言ってくださいね。これでも王太子妃ですから、それなりの伝手はありますよ」
「そんな。ご迷惑をおかけするわけにはいきません」
ゼナイドは王太子妃であり、つまりは未来の王妃だ。
そんな人の手を煩わせるわけにはいかない。
「……なら、クロードを頼りなさい。じきにわかるでしょうが、クロードはアニエスのためなら何でもしますよ?」
「何でも?」
言葉の意味がよくわからず首を傾げると、隣から「尊い」という呟きが聞こえてきたが、なかったことにする。
「私達にとってはひとりの男性ですが、あちらにとっては無二の存在。……私もそれを理解するのには少し時間がかかりましたが――竜紋持ちの愛情は、重いですよ?」
「お、重い……?」
不穏な響きにアニエスが少し怯えると、隣から「重い愛を捧げたい」と呟く声が聞こえたので、慌てて首を振ってなかったことにする。
「そちら方面で困ったら、いつでも相談してくださいね」
ゼナイドの美しい微笑みと謎の言葉に見送られ、アニエスはお茶会の席を辞した。
庭木に囲まれた空間を出ると、使用人が待っている。
庭を出たところにモーリスがいるとはいえ、庭木が迷路のようになっているので案内してもらえるのはありがたい。
今日のお茶会はアニエスのために公爵邸にし、人数も最低限にし、今も早めにアニエスを帰してくれた。
ゼナイドの心配りに感謝しつつ、いつかあんな風に優しく淑やかで気配りのできる女性になりたいと思う。
暫く考えごとをしていると、いつの間にか庭を抜けていた。
だが、モーリスが待っている庭園の入り口ではなく、裏口のような雰囲気だ。
使用人すらも道を間違うとは、何という庭木の迷路。
呆れつつ使用人に声をかけようとした瞬間、背後から誰かに体を押さえつけられる。
ポンという破裂音が聞こえたが、何事かと声を上げる間もなく口と鼻を布のようなもので覆われ、あっという間にアニエスは意識を手放した。
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【今日のキノコ】
ムキタケ(剥茸)
薄い黄褐色の半円形の傘を持つ食用キノコ。
傘の下にゼラチン層があるので皮が剥きやすいのが名前の由来。
調理するとゼラチン状になり柔らかくなるのが自慢。
アニエスを死ぬほど好きだというシモーヌに、「アニエスへの好意とゼラチンプルプルなら負けない」と張り合っている。
庭の入り口でモーリスと別れて進んでいくと、ひとりの少女がアニエスを見て満面の笑みを浮かべてやってきた。
「――アニエス様!」
黒髪に茜色の瞳の可愛らしい少女は、礼をすると瞳を輝かせている。
「嬉しいです。ずっとお会いしたかったんです。クロード殿下にお願いしてもかわされてばかりで……。今日は本当に幸せです。――ああ、夢にまで見た桃花色の髪! なんて綺麗なんでしょう。許されるなら頬ずりしたいです」
うっとりと見つめられているが、まったく事態が理解できない。
そもそもこの少女は誰なのだろう。
アニエスが困って周囲を見回すと、庭の奥から見たことのある黒髪の女性がやってきた。
「シモーヌ! いないと思ったら、こんなところで。ルフォール伯爵令嬢が困っているでしょう」
ゼナイドに注意されると、シモーヌと呼ばれた少女は慌てて背筋を正す。
「すみません、お姉様。私、嬉しくてつい。――さあ、行きましょう、アニエス様」
ゼナイドを姉と呼ぶからには、シモーヌは妹なのだろう。
そう言えば、以前にゼナイドの妹がアニエスに会いたいと言っているとクロードから聞いた気がする。
先程の様子からして、このシモーヌのことだったのだろう。
シモーヌに手を引かれて複雑な作りの庭を進んでいくと、庭木に囲まれた空間に真っ白なテーブルと椅子が並んでいた。
促されるままに座ると、その隣にシモーヌ、奥にゼナイドが座る。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「お茶会の参加者は三人だけですので、緊張しないで。私のことはゼナイドと呼んでください。私もあなたをアニエスと呼ばせてもらいます」
「はい。ありがとうございます、ゼナイド様」
うなずくアニエスを見て微笑む姿は、優雅で美しい。
さすがは生粋の貴族令嬢は、気品が違う。
「番は王妃殿下以外では私達二人だけですから。お話をしたかったのです。本当は二人で良かったのですが、妹がどうしても一緒がいいと。……シモーヌは、あなたの髪に惚れこんでいるのです」
惚れこむとは何だろうとシモーヌに視線を移すと、茜色の瞳と目が合った。
「だって、お姉様。見てください。つやつやとして絹のような滑らかな質感。桃の花をも凌駕する美しいピンク色。まるでおとぎの国から飛び出したようで素敵じゃありませんか。それに緑青の瞳も髪の色に合っていて、更に顔立ちまで可愛らしくて」
矢継ぎ早に捲し立てると、シモーヌは自身の頭を抱えた。
「ああ! どうして私は女なのでしょう。男に生まれていたら、絶対にアニエス様に求婚していました!」
「……はあ」
桃花色の髪を貶されたり厭われたりするのはいつものことだが、褒められるのに慣れていない。
もちろん嬉しいのだが、何と返答するべきなのかがわからない。
しかも、クロードも霞む絶賛ぶりなのだが……求婚とはどういうことだろう。
「その場合、クロードが潰しにきますよ」
「負けません……と言いたいですが、敵も手強いですね」
ゼナイドの物騒な指摘に何やら考え込むと、シモーヌはちらりとアニエスを見た。
「あの、アニエス様。髪に触れても、いいですか?」
「え? ……はい、どうぞ」
返答した瞬間に立ち上がったシモーヌは、あっという間にアニエスの背後に回った。
「うわ。サラサラ! 気持ちいい! 日の光を浴びて少し色味が変わって見えるところも、また素敵です。本当に、なんて綺麗なんでしょう。許されるならこの髪に包まれて死にたい……」
……何だろう。
さっきからちょいちょい妙な言葉が出ているのは、気のせいだろうか。
あわや髪に頬ずりをしそうなシモーヌを、いつの間にか立ち上がっていたゼナイドが引きずって椅子に戻す。
「ごめんなさいね、妹が」
「いいえ。……その。この髪は嫌われているものだとばかり」
「えー? こんなに綺麗なのに、ありえないです。その髪に触れるためなら地の果てまでも」
「シモーヌは少し黙りなさい」
ゼナイドに注意されると、唇を尖らせたシモーヌはお菓子を食べ始めた。
やはり変なことを言っているが、問いただしたら危険な気がするので聞かなかったことにしよう。
「アニエス。確かにこの国で桃花色の髪は珍しいです。色々口さがないことを言う者もいるでしょう。ですが、すべての人がそうではありません。私も、とても綺麗な色だと思いますよ」
「あ、ありがとうございます」
「お姉様ずるい! 私も! 私も死ぬほど好きです!」
聞いてはいけないフレーズには耳を閉ざしてうなずくと、シモーヌは変な歓声を上げてテーブルに突っ伏す。
その瞬間、破裂音と共にシモーヌの腕にキノコが生えた。
薄い黄褐色の半円形の傘は、ムキターケだ。
……何というタイミング。
王太子妃の妹である公爵令嬢にキノコを生やすなんて、失礼にも程がある。
まずは謝るべきか、いや先にむしるべきか。
一瞬の判断に迷っていると、顔を上げたシモーヌがキノコをむしり取った。
「……このキノコ、アニエス様が?」
何故すぐにアニエスの仕業とわかるのかと思ったが、よく考えれば王族に紹介された時に国王にキノコを生やすのをゼナイドは見ている。
恐らく、その時の話を妹にしたのだろう。
「す、すみません。体に害はないと思いますし、そのキノコも食用ですので……」
自分でもよくわからないフォローをしていると、シモーヌの口元がどんどん緩んでいく。
「――アニエス様のキノコ! 私、大事に取っておきます!」
ぎゅっとキノコを握りしめたシモーヌは、満面の笑みで瞳を輝かせている。
明らかにおかしな反応に、アニエスはひとつの可能性に気が付いた。
「……まさか、ここにもキノコの変態が……?」
「違いますよ、アニエス。……まあ、一種の変態です。放っておいてください」
一種の変態って何だろうとは思うが、先程から言動が少し怪しかったし、深追いはしない方が良さそうだ。
「キノコのこともそうですが、何かあれば言ってくださいね。これでも王太子妃ですから、それなりの伝手はありますよ」
「そんな。ご迷惑をおかけするわけにはいきません」
ゼナイドは王太子妃であり、つまりは未来の王妃だ。
そんな人の手を煩わせるわけにはいかない。
「……なら、クロードを頼りなさい。じきにわかるでしょうが、クロードはアニエスのためなら何でもしますよ?」
「何でも?」
言葉の意味がよくわからず首を傾げると、隣から「尊い」という呟きが聞こえてきたが、なかったことにする。
「私達にとってはひとりの男性ですが、あちらにとっては無二の存在。……私もそれを理解するのには少し時間がかかりましたが――竜紋持ちの愛情は、重いですよ?」
「お、重い……?」
不穏な響きにアニエスが少し怯えると、隣から「重い愛を捧げたい」と呟く声が聞こえたので、慌てて首を振ってなかったことにする。
「そちら方面で困ったら、いつでも相談してくださいね」
ゼナイドの美しい微笑みと謎の言葉に見送られ、アニエスはお茶会の席を辞した。
庭木に囲まれた空間を出ると、使用人が待っている。
庭を出たところにモーリスがいるとはいえ、庭木が迷路のようになっているので案内してもらえるのはありがたい。
今日のお茶会はアニエスのために公爵邸にし、人数も最低限にし、今も早めにアニエスを帰してくれた。
ゼナイドの心配りに感謝しつつ、いつかあんな風に優しく淑やかで気配りのできる女性になりたいと思う。
暫く考えごとをしていると、いつの間にか庭を抜けていた。
だが、モーリスが待っている庭園の入り口ではなく、裏口のような雰囲気だ。
使用人すらも道を間違うとは、何という庭木の迷路。
呆れつつ使用人に声をかけようとした瞬間、背後から誰かに体を押さえつけられる。
ポンという破裂音が聞こえたが、何事かと声を上げる間もなく口と鼻を布のようなもので覆われ、あっという間にアニエスは意識を手放した。
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【今日のキノコ】
ムキタケ(剥茸)
薄い黄褐色の半円形の傘を持つ食用キノコ。
傘の下にゼラチン層があるので皮が剥きやすいのが名前の由来。
調理するとゼラチン状になり柔らかくなるのが自慢。
アニエスを死ぬほど好きだというシモーヌに、「アニエスへの好意とゼラチンプルプルなら負けない」と張り合っている。