目覚めたら初恋の人の妻だった。
そして迎えた2月、私は両親に明応大学とは常にライバル関係にある私大の
合格を報告した。
父は驚き、言葉を失い、母は何かを言いたげな眼差しを向けたが、敢えて
何も言わせないような雰囲気を私は醸し出す事に神経を集中させる。
父が書斎に向かった時に、母には私大の方は第一志望では無いので納める金額は
最小限にして欲しいとお願いすると母は
「そうだと思った」とだけ口にし、「受かるまでは誰にも言わないから」と
言われた時には、1人で決め、頑張って来たストレスが報われたような気がし、
涙が出そうになったが、泣くのは第一志望の合格を手に入れてからだと、自分に
喝を入れ、単語帳を取り出した。
少し軽減されたストレス、それが増えてしまう事態になったのは夕方、
カズ君と姉が私の合格を聞き、仁王立ちで質問攻めにされる羽目になった時。
「どうして明応じゃないんだ!」
「お父さんが大学は好きな所を受けて良いって桜華に内部進学を
する時に言ってくれたから。」
「だからって それに柚菜は明応に行きたがってたじゃないか。」
「カズ兄、何時の話をしているの?私が行きたかったのは明応中学で
あって明応大学じゃないよ。」
それは嘘だ。私はあの夏の日まで明応大学に行くと決めてたし
公言していた。
でも、そんな昔の幼馴染の戯言なんて覚えている訳が無いから
平然と嘘を吐く。
「私は柚菜と同じキャンパスを歩きたかったのに・・・」
お姉ちゃん、私は歩きたくなかったよ。
お姉ちゃんとカズ君が仲良くしている画なんて見たくない。
「お姉ちゃん、ゴメンね。私、自分はこの教授に教わりたいと
思える人と、明応大学では巡り合えなかったんんだ。」
それも嘘だ。私は明応大学に足を踏み入れる事さえ拒否した。
いつの間にか嘘を吐く事に何も感じない人間になってしまっていた。
何とも言えない空気になってしまったこの事態をどうしようかと
思案していると母が
「良いじゃないの。お母さんは野球やラクビーを応援する時に
両方のチケットが簡単に手に入れられて嬉しいわ。
それに、柚菜が生きる人生なのだから後悔しないように好きな
大学に通って、自分のなりたい職業に就きなさい。」
「柚菜、働くつもりなのか?」
「当たり前じゃないカズ兄、何言っているの?今時 家事手伝いなんて
古いから」
「柚菜はお嫁さんになると思っていた」
「お姉ちゃん、何時の時代の話しをしているの?桜華出身だって近頃は
皆、コネだけど就職するよ。それに私、お見合いとかするつもりはないから
卒業と同時に結婚なんてあり得ないでしょ?」
「香菜、そんなに早くに柚菜を嫁に出すつもりは無いから!」
と父の声にその話は終わった。
私はこの時に、姉はもしかしたら卒業と同時にカズ君と結婚すると決めている
から私も誰かと・・と思ったのかと考えイラついてしまう。
この微かに残った恋心を早く消化させないとイケない。
タイムリミットは姉の卒業なのかもしれないと焦りにも似た感情が芽生えた。
そして、あの地獄の尋問の日から暫くして私は第一志望の
T大 文一の合格を手に入れた。
その報告を両親と姉にすると父は固まってしまい、姉は慌てて
スマホを取り出し、操作を始めた。
父の膠着が解けないうちにデジャブのようにカズ君が現れた。
やはり、先程のスマホ操作はカズ君へだったのかと妙に納得していたし、
こうなる事も予想の範囲内だった。
「柚菜、どう言う事だ?」
「お父さん、私の第一志望はT大だったの。」
「聞いていない!」
「聞かれなかったから、敢えて自分から話さなかった。それに
何と言っても国内最高峰の大学だから落ちる可能性も捨てきれなかったから」
「確かに、柚菜に大学を敢えて聞かなかったのは明応大学に行くと思っていた
からであって・・・」
「別にその事を責めていないから・・もしかしたら聞かれても
言わなかったかもしれないし・・・」
「何時からなんだ?」
「高校2年の早い段階で決めました。」
「高校2年・・」カズ君が呟いた。
「何があった?」
「何もありません。ただ、自分が将来どうしたいのか解らなかった時に
相談した先生がT大なら学部を後から変更する事も出来るから、
他の大学より将来を吟味するのに猶予があると教えて頂き、
大学を訪問した際 師事したいと思える教授と出会いました。」
「その先生って数学の先生か?」
カズ君が聞いた事の無い低い声を出す。
「うん・・・」
なんでカズ君は先生の事知っているんだろう?
そう思ったけれど、父の声がその思考を遮る。
「女がT大に進んだら嫁の貰い手が・・・」
「お父さん、私は私の学歴を厄介だと考える人とは結婚したくないと
思うし、そんな人を選ばない。それに一生結婚しなくても
良いと思っているから」
「な なにを言ってるんだ!」
「私は誰かに頼らないと生きていないような大人になりたくないの。
もし、誰かに傷つけられても1人で立ち向かえる強さを持つ大人になりたい」
それは本心だった。
あの夏、私は生きる術を失った。
カズ君だけを見てきてカズ君の背中を追いかける事が目標だったから
それが無くなって、私自身が迷子になってしまった。
運よく先生に出会えたから道が開いたけれど、もし出会えなかったら
私は一生迷子のままだった。
次に何かあった時に先生に出会えたような幸運に巡り合えるとは限らないとの
考えに至るに大して時間は要さなかった。
だから、私は一人でも生きていける何かを身につけたかった。
「文一は世間一般で言う法学部だよな?」
「そうです。今の段階で私はお父さんのように弁護士になりたいと思って
います。」
「「「・・・・・・」」」
前回の合格発表の時より重苦しい雰囲気に、お手伝いさん達も戸惑っているのか
お茶すら運ばれてきていない。
「あら~柚菜ちゃんが弁護士になってくれたら 桜法律事務所の後継者が
出来るじゃないですか。」
母の呑気な声が空気を柔らかくする。
「別に、事務所の跡を継いで欲しいなんて考えた事は無い。
それに 桜法律事務所は 事務所ごとに優秀な所長がいるから
最終的には譲っても良いと考えていた。」
「それは、今決めなくても宜しいのではないでしょうか?
柚菜ちゃんが弁護士になった時に考えたら如何ですか?
柚菜ちゃんだって今は弁護士になりたいと思っていても
ある日突然、結婚したいと思う日が来るかもしれないのですから
先の事は誰にも解らないのだから、今は柚菜の合格をお祝いしましょう。
改めて、柚菜ちゃん 合格おめでとう。良く頑張ったわね」
「お母さん、有難うございます。」
「もしかして、お前、知っていたのか?」
「当たり前です。私は母親ですよ。」
その言葉に私は自分の本心を知られている事を悟った。
考えてみたら当たり前だ。
あんなにカズ君命だった私が距離を取り、ゲッソリと痩せたのを
女親が気がつない訳が無いのだ・・
そう考えると母は私がホームステイに行くのにも快く賛成してくれていた
理由が解った。
「お母さん、色々、サポートして頂き有難うございました。」
それは大学受験だけの事で無い事を母は気がついたのだろう
「私はお母さんですからね」
その言葉に頭を下げながら涙した。
それ以上、この件に関して誰も口に出来なかった。
母には感謝しかない。
そんな過去の夢をみたのだろうか?
それとも、ぼ~とベッドでまどろんでいる時に思い出したのだろうか。
夢と現実の境目が鎮痛剤の影響で解らない。