社長、それは忘れて下さい!?

 秘書は秘書で、縮こまったままオロオロと視線を彷徨わせるだけだ。四十代半ばの痩身の男が身を縮ませて狼狽える様子は憐憫を誘う姿だったが、ここで可哀そうだからと通すわけにもいかない。

 ボディーチェックを後に回し、秘書の前にトレーを差し出すと、彼は杉原の顔とトレーの上を忙しなく見比べた。しかしやがて観念したのか、ポケットの中身を少しずつトレーの上へ移し始める。

 涼花や旭や行き交う人々の視線を受けながら秘書がもたもたとポケットの中身を出すと、そこには意外なものが紛れ込んでいた。

「あの……失礼ですがこれは?」

 トレーの上に出されたのは手の中に収まるほどの小さなガラス瓶だった。

 瓶そのものも透明だが、中に入っている液体も透明だ。小瓶は底が平らになっており、中には馬毛のような細くて茶色い刷毛が入れらている。刷毛の一方は蓋の裏と接続し、もう一方は透明の液体に浸された状態だ。

「マニキュア……ですね」

 涼花がトレーを覗き込みながら頷く。旭はピンとこないらしいが、女性の涼花が見ればこれはどうみてもマニキュアのボトルにしか見えない。

 旭がトレーの中にあるそれを摘み上げようとすると、秘書ではなく杉原が手を伸ばしてきた。だがあまり大袈裟に取り上げるような素振りをすれば、杉原が怒り出してしまいそうだった。だから旭は、半歩だけ身を引くことで杉原と自然に距離を取った。
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