社長、それは忘れて下さい!?
 龍悟が破顔したので、涼花は再び心を掴まれた心地を覚えた。

 確かに龍悟は前にも同じ事を言った。エリカにも同じ事を言われた。けれど、違う。

「でも私は……社長とのこと、忘れたくなかった……」

 独り言がうわ言が脳の奥に反響するのを感じ、そっと目を伏せる。

 忘れたくなかった。
 覚えていたかった。
 だって今もまだ、こんなにも惹かれている。以前と変わらず慕い続けている。

 けれど涼花は、龍悟の恋人にはなれない。龍悟はあくまで上司であり、涼花に向けられる情が愛などではなく、部下への信頼であることは感じ取っていた。

 だからたった一度の思い出だとしても、肌を重ねられて嬉しかった。それだけでも十分すぎるのに、そのまま忘れてしまうと思っていた龍悟は涼花の全てを覚えていた。そして彼はいつものように優しい笑顔で、涼花のトラウマを取り払った。それだけで涼花にとっては龍悟が運命の人のように思えたのに。

 龍悟は怖いぐらいに完璧だった。暗闇の中で誰かのぬくもりを求めていた涼花に、龍悟は溢れんばかりの笑顔と可能性を向けてくれた。そしてその二つを涼花の両手に握らせて『恋愛をしろ』と無理な要求した。

 無理に決まっている。
 だってまだ、こんなにも。

「……すき」

 なのに――。

「それは……」
「…………え?」
「どういう意味で言っている?」

 ふと低い声が耳に届く。数秒遅れて顔を上げると、少し照れたように口元を押さえた龍悟が、困った顔をして涼花の瞳を見つめていた。涼花は瞠目したが、その直後に自分の失言に気が付いた。
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