社長、それは忘れて下さい!?

 けれどその眼を見つめることはできない。視線を上げると、涼花を見下ろす瞳に何の感情もない気がして――それどころか、龍悟の瞳に自分が映ってすらいない気がして、とても見上げる気にはなれない。

「いや……。あ、いや……違う。覚えて、る……」

 龍悟は何度か自分の言葉を訂正しながら、覚えている、と呟いた。

 けれど、涼花は知っている。
 龍悟はきっと――覚えていない。

「どこまで、覚えてらっしゃいますか」
「……昨日はステラのパーティで。お前が残業を終えたら、送っていこうかと……」

 涼花の問いに龍悟はかなり的外れな説明を始めた。だが的外れだと思っているのは涼花だけで、龍悟は至って真面目だった。

 涼花が覚えているかどうか訊ねたのはその後の話だ。だが恐らく、龍悟にはその後の記憶がない。だから昨晩の『覚えている』範囲のことを説明しようとすると、こうも簡単に食い違ってしまう。

 今すぐここから逃げ出したい衝動が沸き起こる。龍悟に何かを言われる前に、現実を突きつけられる前に、彼に冷たい視線を向けられる前に、一刻も早くこの場から消えてしまいたい。

「……秋野」
「っ……」

 黙り込んでいると、心配そうに名前を呼ばれた。だが心配してくれているはずのその声にさえ、涼花は胸を抉られるような気持ちになった。

 龍悟は涼花を『秋野』と呼ぶ。『涼花』とは呼んでくれない。昨日あんなにたくさん耳元で優しく呼ばれた名前が、いつもの仕事の時のような名字での呼び方に戻っている。
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