社長、それは忘れて下さい!?
時間が停止する。まるで天使の笑顔でも見つけたように、問屋の社長も涼花の表情にしばらく見惚れていた。
少しの沈黙の後、問屋の社長は顔を赤く染め『あぁ』『うん』『そうだな』の三種類を代わる代わる呟きながら、あっさり契約書にサインをしてしまった。さっきまで渋っていたのは一体何だったのかと思うほど、嘘みたいに、簡単に。
「失礼いたしました」
涼花が軽く頭を下げて退室していく様子を、龍悟も旭も呆然と見送る。その間もせっせと書類を作り上げていく相手の様子に気付いて龍悟はすぐに我に返ったが、旭はどうにも釈然としない気持ちを抱えたまま残りの時間をやり過ごした。
契約と確認を終えると、会社のエントランスまで相手を見送り、社長室に戻る。
旭が応接ソファに近付くと、龍悟は足を組んで背もたれに身体を深く預け、ぼんやりと考え事をしていた。見れば契約を終えた書類も資料も、すべてそこに広げられたままだ。やれやれ、と思いながら書類を集めてまとめていく。
ふと契約書に視線を落とした旭は、先ほどのやり取りを思い出して苦笑いを零した。
「珍しく取引相手に笑ってましたね」
契約がスムーズに済んだのは、間違いなく涼花の笑顔のおかげだろう。先程の涼花の表情には、旭も胸を掴まれるものがあった。あんな笑顔で笑われたら、思わずサインをしてしまう気持ちも十分に理解できる。
それに涼花はいつも気を張り詰めて感情を押し隠しているので、たまに喜怒哀楽を見せるとそのギャップを強く感じる。