社長、それは忘れて下さい!?
After Story

秋桜の音色


※ 本編完結後の番外編です。
※ 本編ネタバレ含みますのでご注意ください。



「龍悟さん」

 隣に並んだ上司であり恋人の名を呼んで、涼花は頬を膨らませた。
 食べ過ぎて、と言うよりも、食べさせられ過ぎてお腹がきつい。こんなに満腹感と幸福感でいっぱいになのに、今日もまた、一円も払わせてもらえなかった。そんな不満を込めて龍悟の顔を見つめるけれど。

「車出してくる。正面で待ち合わせでいいか?」

 と、文句さえ言わせないように微笑まれてしまうと、いつも通り不満の言葉は形にならない。仕方がなく『はい』と呟くと、龍悟が勝ち誇った顔のまま先に店を出て行った。

 龍悟との攻防に今日も敗北した涼花は、大人しく化粧室に寄ってリップを塗り直す。今日はこのまま龍悟の家へ帰るだけだが、食事の後で色が落ちた口元を放置するのはあまりに不格好だ。

 身だしなみを整え、店を出る。
 正面で、と言われたので店を出てすぐの歩道でぼんやりと龍悟を待った。行き交う人たちの邪魔にならないよう、道の端に寄りながら。

 今日の料理も美味しかったなぁ、とタクシーを待つわけでもないのに車道側を向いてぼーっとしている様子は、少し不審だったのかもしれない。突然、後ろから声を掛けられた。

「涼花?」

 至近距離で聞こえた声に既視感を覚え、思わず後ろを振り返る。声を掛けられただけで何となく不穏な心地を感じたのは気の所為ではなかった。涼花に声を掛けてきたのは、案の定知り合いだった。

「やっぱり涼花だ。久しぶりだな」
「先、輩……」

 それは涼花が大学時代に所属していた、サークルの先輩。涼花が人生で一番最初にお付き合いをした、二つ年上の元恋人。

 そういえばこの近隣に本社を構える商社に入社したと、はるか昔に風の噂で聞いた記憶があった。だが本人に確かめた訳ではないし、聞きたいとも思っていなかったので、すっかりと失念していた。

 就活をしていた大学時代はずっとリクルートスーツだったので、ビジネススーツ姿は初めて目にする。けれどそれ以外は何も変わっていない。まるであの頃のまま、時間が止まったように。

 久しぶりと言われたので考えてみたら、確かにかなり久しぶりだ。けれど、あれから会いたいと思ったことは一度もなかった。

「びっくりした。なんかすげー綺麗な子がいるなぁと思ったら」

 どく、と心臓が鳴る。一度に通常の倍量が流出したように、胸の苦しさと拍動の音が激しい。
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