社長、それは忘れて下さい!?
会いたいと思ったことなど、なかったのに。
こんな道端でばったりと遭遇してしまうなんて。
「お久しぶり、です……」
「なんだ、他人行儀だな」
だからつい心の距離をぐんと引き離した。付き合っていた頃は今より七つも若い頃だったし、敬語なんて一切使っていなかった。
けれど今は社会人だし、確かに知り合いだが親しくはない。他人だ。間違った対応はしていない筈なのに。
「まぁ、付き合ってたって言っても別に深い仲だったわけじゃないしな」
そんな言葉を耳にすれば、何から何まで間違っている気分になってくる。
じり、と思わず後ろに一歩下がる。
「涼花、今は彼氏いるの?」
「……」
「もしいないならさ、これから飲みにでも……」
先輩が、何かを訊ねてきた。そしてその後に何かを話しているのが聞こえた。けれど内容が全然入ってこない。
七センチのヒールの上で、足が震える。嫌な記憶を思い出しそうになり、懸命に足に力を入れる。蓋を押さえつけてギリギリのところで冠水を免れているような、じりじりとした焦りを感じる。敵意を持って接する相手はないと頭では理解しているが、嫌な汗が肌とブラウスの間をじっとりと濡らす。
ふと先輩が、顔を覗き込んできた。普段は少し怒ったような印象を受けるのに、にこっと笑った顔と雰囲気はやはり少しだけ龍悟に似ている。
けれど顔の作りそのものは全然似ていないことに気付く。むしろ、怖いとさえ思う。その眼がどう歪み、その口がどんな言葉を吐き捨てるのかを知っているから。
胸の奥に鈍痛を感じ始め、いよいよその場に座り込んでしまうのではないかと思った頃になって、ようやく龍悟の愛車が涼花の目の前に到着した。見知った車体とナンバープレートの組み合わせに、思わずほっと息を吐く。
「!?」
突然目の前にやってきて停車した車に、先輩が驚いた顔のまま硬直した。
それはそうだろう。国産車だが間違いなくハイクラスの部類に入るエンブレムと、磨き上げられた黒くて艶やかなボディが光る高級車。
から、颯爽と降りてきた人物が、身に纏っているのはビジネスマンなら誰もが憧れる老舗ブランドの高級スーツ。品のある光沢で踵を鳴らす上質な革靴。袖から見える腕時計は、涼花が着けている腕時計とは桁が二つ違う。
その全てを纏ってなお、負けるどころか本人を引き立てる装飾品でしかないとさえ思わせる程の、精悍な顔立ち。高身長でいて、均整の取れた体躯。