社長、それは忘れて下さい!?
「涼花? ……知り合いか?」
その絵に描いたように完璧な人物が、自分の隣にいる女性の名前を親し気に呼んだりなんかしたら、驚くに決まっている。その女性が自分の昔の恋人だったなら、余計に。
「大丈夫です。行きましょう」
「あ、あぁ……?」
そのパーフェクトヒューマンが、助手席の扉を開けて丁寧に涼花をエスコートしてくれる。その時点で先輩の驚きは二倍に膨れ上がったような表情をしていたが、オーラが強い大男とも表現できる龍悟に怪訝な視線を向けられてしまえば、驚きを通り越して恐怖すら感じたのかもしれない。
先輩には最早、話しかけて来るような勇気などない。本気で実行するつもりなら、それは勇気を通り越して無鉄砲と言う。
シートベルトをかけて背面シートに背中を預けると、先輩から無事に離れられたことにそっと安堵する。運転席に戻って来た龍悟が同じようにシートベルトを嵌める動作を眺めると、思わず大きめの溜息が出た。
龍悟と関係を深めるようになり、彼が涼花と過ごした時間を忘れないと証明し続けてくれているおかげで気が抜けていたが、自分は相手に影響を及ぼす特異な体質を持っている。その所為で過去に悲しい思いもしたし、辛い言葉を浴びせられもした。
その苦い出来事を、何故か今日、掘り当ててしまった。
走り出した車の窓に側頭部を預け、ぼんやりと外を見る。このまま首都高に乗ってしまえば、龍悟の家までは寄り道もせずほぼ一直線。だが楽しい筈の気持ちが、どんよりと曇ってしまっている。
「涼花? 大丈夫か?」
「……え?」
駐車場から車を出してくるまでのわずか数分の間に、あからさまに元気がなくなってしまった涼花の様子を見て、龍悟が首を傾げた。
顔を上げると、ちらりと横目で様子を確認される。それなりのスピードが出ているので視線は前に向いたままだが、意識がこちらに向けられていることは涼花にも分かった。
「顔色悪いぞ。食い過ぎたか?」
「あぁ、いえ……大丈夫です」
心配そうに訊ねられてしまう。一応否定はするが、お互いに黙ってしまうとまた沼の中に足を引きずり込まれる心地がした。