社長、それは忘れて下さい!?

 これでも一応は社長秘書だ。秘書の仕事は鈍感な人間には務まらない。

 優れた秘書は常に上司に付き従い、相手の機微にもアンテナを張り、両者の意図を酌み取って先回りする技量が必要だ。涼花もその技術を完璧に身に着けたわけではないが、龍悟の言動や視線や態度から考えを読み解くことは出来る。だから自分が恋愛対象として意識されていないことぐらいは、ちゃんと感じ取っていた。

「でも今回、ちょっと思い知ったんだ」
「何を?」

 涼花は額をつけたテーブルから首だけを動かして、そっとエリカの顔を見上げた。

「忘れちゃうって、すごく悲しいんだね」

 覚えているはずのことを、忘れている。大事なことを忘れているのに、忘れたことにさえ気付かない。目の前で心配してくれる人がいるのに、心配されている内容がわからない。相手はちゃんと覚えているのに、自分は全く覚えていない。

「今まで忘れられるばっかりだったから、自分が忘れる立場になるって想像したことなかったなって……」

 今までずっと、自分との夜を忘れた相手を責めてきた。忘れた相手が悪くて、忘れられた自分は被害者だと思っていた。

 けれど今朝『大丈夫か?』と心配そうに顔を覗き込まれて龍悟と目が合った瞬間、涙が出そうなほど不安になった。忘れた方も辛かった。

「馬鹿ね。それは涼花が、忘れられる辛さを知ってるからよ」
「エリカ……」
「普通、忘れた方は罪悪感なんて感じないわよ。だってそれすら忘れてるんだから」
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