社長、それは忘れて下さい!?

 肯定する声は涼花が聞いたことがないほどに冷ややかだった。

 なぜ機嫌が悪いのだろうと不思議に思う。その表情を確かめるために顔を上げた涼花は、龍悟と視線が合った瞬間思わず凍り付いた。

 正面に立って涼花を見下ろす瞳は、明らかに怒りを孕んでいた。

「社長……? 怒って、らっしゃいますか?」
「……怒ってない」

 嘘だ。龍悟は明らかに怒っている。
 なぜならその瞳には、涼花が見たことがない色の炎が揺らめいている。餌を横取りされた猛獣が、奪われた獲物をもう一度奪い返そうとする本能的な怒りが。嫉妬にも似た強い炎が。

「涼花……」

 突然下の名前を呼ばれた涼花は、びくりと身体を震わせた。今までただの一度も名前を呼ばれたことなどないのに、なぜ。

 驚いていると龍悟に突然肩を掴まれ、そのままぐっと引き寄せられた。

「どうしてだ」

 さらに近付いた龍悟が、耳元で囁く。低く掠れた音を耳にしただけで全身が震えてしまう。

「どうしてその『恋愛』の対象の中に、俺がいないんだ」

 身を屈めた龍悟の唇が、耳朶に触れそうなほどの距離にある。あまりの気恥ずかしさから身を引こうと思ったが、肩を掴む力が強く、簡単には逃げられない。

 困惑していると、龍悟のもう片方の手が涼花の頬を捉えた。親指が、涼花の唇を優しく撫でる。

「ん……っ」

 けれど優しい触れ方だと感じたのは、ほんの一瞬だけだった。龍悟は涼花の顎を掴むと、そのまま無言で唇を重ねてきた。
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