Don't let me go, Prince!
この部屋に飾られた二枚の女性の肖像画。直接会ったことは無いけれど、私はこの女性の顔を写真で見たことがある。そう、この女性は______
「この部屋は……他に何一つ持たなかった母が、私に残してくれたたった一つの場所なんです。幼い頃のほとんどの時間を私と母の2人、この場所で過ごしました。私にとって良い時も悪い時も、《《特別》》なこの場所で。」
幼い頃の母との思い出を話す様子にしては何かがおかしい。弥生さんのそれは懐かしむ様子ではなく、ただあったことを淡々と話しているだけのような気がするのだ。
弥生さんの実母は数年前に病気で亡くなったと聞いている。2人は親子として良好な関係が築けてはいなかったのだろうか?
弥生さんについて私は知らない事が多すぎる。小児科に勤める医師には大きすぎるお屋敷と、毎日の様に来る家政婦。お金を出しているのはお義父さんだと聞いたことがある。
お義父さんには結婚前に一度挨拶に行ったが、私には何の関心も無かった様で「早く子供を作れ」とだけ言われただけだった。
考え事をしている間に弥生さんはいなくなっていた。そっとドアに近付きノブを動かそうとしたけれど、鍵はきっちりと掛けられたようでビクともしなかった。
私はその場でへなへなと尻もちをつく。安心したと言えばそうなのかもしれないけれど。こんな場所に一人閉じ込められたショックの方が大きい。
「彼が帰ってきたら、また続きをするの……?」
彼の指先で触れられた場所がまだ熱を持っている。そっと自分の指でなぞってもやはり感触が違う。……あの指が、あの温度が良いのよ。
何も持たずにここに連れて来られた。インターフォンの確認に行っただけの娘がいなくなったのだ。母は心配していないかしら?スマホも持たないから連絡の取りようもない。
力の抜けた身体を両腕で抱き締めても、怖くて堪らない。
この場所も、今の私が置かれた状況も……いつもと別人のような弥生さんの事も。