辺境の獅子は瑠璃色のバラを溺愛する
セシリオの返事は聞こえなかった。答えなかったのか、聞き取れなかったのかはわからない。
「それにですよ、彼女は背中に醜い傷跡があるはずです。いくら美しいとは言え、アハマス卿の妻には相応しくない。辺境伯夫人ともあろう者が傷物など──」
「ブラウナー侯爵」
セシリオの怒りを抑えたような低い声が聞こえた。
「あなたの言うとおり、本当に見るに堪えない醜い傷があるのならば俺の妻には適さないのかもしれない。だが、彼女に醜い傷などない。だから、なにも問題はない」
それを聞いたとき、衝撃の余りに頭が真っ白になった。体から力が抜け、持っていたハンカチがハラリと床に落ちる。現実のものが現実でないような、心が空っぽになった気がした。
夢の終わりは儚いものだ。
なぜ、今まで忘れていたのだろう?
これまで積み重ねてきたものがまるで無くなるように、呆気なく終わりを告げる。アハマスに来てから、セシリオと少しずつ夫婦になるための絆を繋いできたと思っていた。でもそれは、ちょっとしたことで崩れ去るような、冬の湖に張った薄氷のようなものだったのだ。