辺境の獅子は瑠璃色のバラを溺愛する
 ちょうど準備が終わった直後に、屋敷の外に六頭立ての立派な馬車が到着したのが窓越しに見えて、サリーシャはふうっと息を吐いた。チラリと壁際の機械式時計を見ると、予定よりも四時間も早い。チェスティ伯爵は案外せっかちな人なのかもしれない。

 サリーシャは刺し終えたハンカチを忘れないように用意し、手に握った。

 ──大丈夫。わたしはマオーニ伯爵令嬢のサリーシャ=マオーニ。『瑠璃色のバラ』と呼ばれる美しい娘。さあ、笑え。笑うのよ、サリーシャ。誰よりも美しく、妖艶に。

 毎日のように行っている恒例の儀式。そうやって田舎娘の自分を忘れ、伯爵令嬢になりきる演技をし続けた。

 サリーシャが完璧に作り上げた微笑みを浮かべたまま階下に降りると、なにやら階下の様子がおかしかった。マオーニ伯爵は酷く慌てた様子で、玄関ホールで執事のセクトルと話し込んでいる。

「どうかしたのかしら?」

 サリーシャは独り言ちた。
 確かにだいぶ予定の時間よりは早いけれど、前日から今日の準備を進めていたのだから、そこまで慌てることもないだろうに。怪訝に思いながらゆっくりと二人に近づいていくと、マオーニ伯爵はサリーシャを見つけて飛ぶように駆け寄ってきた。

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