貧乏伯爵令嬢の世にも素敵な!?婚活事情
「フェルナン様、手伝いは不要よ。慣れてるの」
「だろうな」

嫌味でもなんでもない自然な返しを、ジェシカが気に留めた様子は皆無だ。フェルナンもまた、自分の存在が目の前の〝魚釣り〟というイベントに完全に負けていても気にしていない。今はそれでいいのだと。
それに、彼女はちゃんと〝フェルナン様〟と自分の名を呼んだ。つまり、フェルナンの存在をたしかにに認識しているのだ。料理に夢中になっていた以前の夜会での様子を考えると、それで十分だ。その上で、自分の用意したこのイベントにこれほどときめていくれるのなら、これ以上のことはない。

隣り合って座ると、フェルナンから竿を受け取ったジェシカは、少しの迷いもなく練り餌を付けた。それに気を取られすぎた彼女は、二人の間がこぶし一つ分も空いておらず、少し体を動かすたびに二人の膝や腕が触れ合ってしまっている事実に気がついていない。いや、彼女にとってそもそも異性とのそんなふれあいは特筆すべき事柄でもないのだ。普段から領民とのかかわりが深いジェシカにとって、性別関係なく体の一部が少し触れるぐらいは日常茶飯事。主に年下の……孤児院の子らだが。


(さて、ここからどう意識させていくかな)
自分も水中に糸を垂らしながら、フェルナンはそれはそれは楽しそうな笑みを浮かべた。

戦のなくなった昨今、平和でありがたいかぎりだ。けれど、命を懸け合ったやりとりを経験してきた彼は、ここ数年続く平和な日々になんとなく退屈していた。
そんななか、出会ったジェシカという一人の女性。フェルナンは、飾らない彼女の人柄にすぐに恋に落ちた。

――今こそが、わが人生の重大な時――

ここだけは外せないというポイントを、戦の鬼フェルナンは絶対に逃さない。
フェルナンは、ジェシカが垂らした糸の行方をじっと見つめた。その目はデートというにはいささかギラつきすぎ、何事かをたくらんでいるようだ。部下たちが今の彼を見たら、〝戦か!?〟とすぐさま緊張が走ったことだろう。


「あっ、引いてるわ!!」

さすが経験者であるジェシカは、無駄に慌てはしなかった。慎重に糸を手繰り寄せると、網を持って待つフェルナンに受け取ってもらう時を見定めて、絶妙なタイミングで動いた。
二人の間に言葉はなかった。それどころか、アイコンタクトさえもほぼない。ジェシカの呟いた一言でフェルナンが動き、それを見たジェシカが合わせて動く。見事に息の合ったやりとりだ。

相性は悪くないとわかっていたフェルナンだったが、この一連の流れは己の想像以上で、やはりジェシカしかいないのだと確信した。

「あっ、フェルナン様のもかかってるわ」

逆はどうだろうかと思えば、すかさずジェシカが動いて網を構えた。そして、先ほどと同じようにスムーズに事が運ぶ。
最終的に、ジェシカが三匹とフェルナンが二匹釣れ、満足のいく結果となった。

「さすがジェシカだ。勝てなかったなあ」

別に競争していたわけではない。むしろ、協力状態にあったはず。けれど、こうして褒められれば悪い気はしないわけで、ジェシカは得意げな笑みを浮かべた。

さすがに五匹も食べられないと二匹だけ調理をしてもらい、あとは放してやった。少しだけ恨めしそうなジェシカだったが、生の魚を持ち帰ることはできないとすぐに納得した。
それから、フェルナンと共に芝の広がる丘へ移動した。その道中も〝疲れてないか〟〝足はいたくないか〟と、なにかと自分を気にかけてくれるフェルナンに、ジェシカは温かい気持ちになっていた。

(いつもなら、私が相手にかけていた言葉だわ)
オリヴァーや双子達が小さい頃から面倒をみてきたジェシカ。弟妹達がぐずりだしてしまう前に声をかけ、励ますのが自分の役割になっていた。
(今までは知らなかったけれど、こうして気にかけてもらえるのって、なんだか心地いいわ)

この日のジェシカは、歩きやすいヒールのない靴を履いていた。服装は結局、後からフェルナンに動きやすいものでと言われたため、それほど華美でないワンピースを着ている。着慣れた普段着ではあまりにも申し訳ないと、マーカスとオリヴァーが新しく見立ててくれたものだ。簡素なりにもジェシカの美しさが引き立つ華奢なデザインで、彼女も気に入っている。

今朝、ミッドロージアン邸に迎えに来たフェルナンは、ジェシカを見るなり満足そうに頷いて〝よく似合っている。綺麗だ〟と彼女を褒めたたえた。異性からの慣れない誉め言葉に頬を染めたジェシカに、フェルナンは笑みを深めた。

出発してからここまで常に気遣ってくれるフェルナンに、ジェシカは家族と同じぐらいの信頼を寄せていた。
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