手芸男子と秘密の三角関係
第9話 12月25日(月)
昨日、結局八雲はツミキに振り回されっぱなしで、ツミキが作った夜ご飯のクリスマスプレートを、ツミキの家族と一緒に食べる羽目になった。完全にツミキはお嫁さんモードであった。自宅にもどったのが11時。早かったわねと言った母親に、げんなりした。
学校中にクリスマス飾りが施され生徒は皆一様に浮かれていたが、今日中には撤去される寂しさもあった。八雲は昼ご飯を、自分の中では最短記録で終わらせ、トイレに行って鏡を見た。今日は前髪がはねている気がする。手で流れを整えてみるが、どうもうまくいかない。
(鏡をみたからってかわいくなるわけじゃないんだから)
そう前髪に言い聞かせて、旧館に向かう。寒いがホワイトクリスマスにはならない気候だった。旧館の正面に立つ。心臓が飛び出てきそうというよりは、手と足がふるえる感覚。寒さではなく極度の緊張である。
奏へのクリスマスプレゼントを用意した。何がいいのか奏に聞く勇気もなく、ツミキのような器用さもない。自分が用意できる精一杯のものを考えたつもりだ。奏の反応を何度も想像したが、そこに答えなど見出せるはずもなかった。
旧館に入る。人はいない。奏が来ていないことにホッとする八雲。今日はこのまま来てくれなくてもいいのにと、どこまでも弱気な自分がいた。
先日『吾輩は猫である』を落とした時の事を思い返す。ツミキにあのタイミングで見られるとは思ってもいなかった。気が緩んでいた自分に腹が立つ。ツミキが言っていた通り、八雲は猫の何もかもが嫌いであった。
だから『吾輩は猫である』は自分で選んだわけじゃない。
奏が選んだ。そう、奏の分身だった。
だが、日本文学に興味がなかったわけではなく、『月に吠える』は本当に自分が好きで買ったものである。シェイクスピアを一通り読み終え、奏と話しているうちにそっちに興味が湧いてきていたところだった。
あの事件の、後味の悪さの原因はわかっている。『吾輩は猫である』を借りたという嘘を誤魔化すために、デコデコブックカバーをかけた『月に吠える』を出してしまった自分の浅はかさ。デコデコブックカバーを自分が使っている事をツミキに見せれば、ツミキが有頂天になると思った下衆い心。幼馴染の純粋な心を、卑劣な手で穢した。
「そんなに睨んだら窓が泣くよ」
振り返ると奏が立っていた。また再び、手足が震える。それがわかったのか奏がこっちにと指で指示する。いつもの日本近代文学の棚である。八雲は少し奏との距離をとった。とったところで棚と棚の間にいるのだから、お互い手の届く範疇である。
「今日も緊張してる?」
「ちょっとだけ」
「なんでかな?」
「クリスマス、、、ですし」
「へー、僕、何か期待していいのかなぁ」
そういうと奏は八雲の持つ本を、適当に棚において、八雲を自分の胸板に隠した。
「先輩、ちょと」
「黙って」
「……」
「素直だね。キスしてって言ったらしてくれるのかな?」
はじめの目の前の奏は、なぜかいつもより綺麗だった。そしてその向こうには昨日のツミキがスパークしていた。奏にもツミキにも申し訳なさでいっぱいだった。八雲は今、自分がどんな顔でいるのかわからなかった。
「ごめん、ごめん。わがまま言っちゃったね」
「いえ、できなくて、、、なんかすみません」
「いいよ。僕がする」
今まで読んだ本にこんなこと書いてあったかなと、はじめは思った。自分とは温度の違う強引で意思を持った形が、自分のくちびるの端にあたったのだ。はじめは奏を見上げた。奏はいつになく真剣な顔をしていた。
「嫌だったかな」
「答えに、困ります」
「そう、か」
「あの、」
「何?」
「じゃ私もわがまま言います」
「うん」
「しばらくこのままで」
「いいよ」
はじめは自分を奏に預けた。すると奏の心臓の早さが自分と同じくらいのスピードで動いている事を知る。奏も自分と同じなのだとわかって、安堵した。昼休みが終わらなければいいのにと、2人と2人以外が思う12月25日の月曜日であった。
旧館を出る直前、八雲は奏にクリスマスプレゼントを渡す決意をした。それは手のひらサイズの薄い水色をした封筒であった。
「先輩、これクリスマスプレゼントなんですけど」
「ありがとう。ラブレターかな」
「いえ、そんなんじゃないんですけど」
「うれしいよ」
「じゃ、私教室にもどります」
そう言って八雲は小走りしながら、教室に着く前には平常心を取り戻さねばと必死だった。
*
昼休み、ツミキは生徒会室にいた。さやといつ飾りを撤去するか、話を詰めていた。帰りのホームルームが終わり、帰宅部から有志を募って今日中に終わらせるとの事だった。
「あんなに準備に時間かけたのにもったいないっすね」
「だから、いいんじゃない。いつまでもあったらありがたみもないってものよ」
「そう言われたら、反論できません」
バンッッッッッ!!!!!
いつもの勢いで稜珂は生徒会室に入ってきた。
「もえ、ツミキ、クリスマス終わったわね。お疲れ様。あとは片付けお願いね」
「久我、相模、3学期の行事、細部もわかるように資料作っておいてね」
そういうと踵を返して竜巻は去って行った。と思ったら、振り返り、
「ツミキ、放課後、帰宅部の人がひとりいるわよね」
と言って、鼻歌交じりに出て行った。
*
ツミキは放課後になるとすぐに八雲のところに行き、クリスマス飾りを一緒に片付けようと提案してきた。即行、はじめは断る。ツミキは食い下がったが、はじめも負けるわけにはいかなかった。
結局ツミキが折れ、ツミキが生徒会室に行ったのを確認して、はじめは旧館に急いだ。昼休みのことを思い出すと、自分が保てそうになかったので、一生懸命に思考を振り払う。
奏はもう旧館にいた。本棚の間に立って今日はやけに色気を放つ男子生徒に、八雲は黙って近づいた。旧館の本達がおしゃべりをやめる。
「プレゼントありがとう」
「あれはやっぱりプレゼントというにはふさわしくなかったような、、、」
「そんなことないよ。八雲にあんな誘い方ができるなんてね」
「えっ?!」
奏は昼休み時よりは優しく、薄い飴細工を扱うかのように八雲を抱きしめる。奏はここでしか許されない行為のすべてを八雲と共有したかった。
「八雲、聞いて」
「はい」
「今から君は僕を奏と呼ぶ。そして僕は君のくちびるにキスをする」
「あ、あの、それ昼休みにしたのでは」
「名前呼ばれてないし、あれはキスの手前だよね」
「改めて言われるとちょっと」
「はい、呼んで」
奏の色気と強引さに八雲酔わされていた。
「奏先輩」
「じゃなくて」
「か、奏」
「よくできました」
そう言って奏は右手を八雲の左頬に添える。刻一刻とその時はやってくる。奏が少し背を落とす。二人の間は、単行本シェイクスピア『テンペスト』の厚さより薄い。奏はついに、
「何、してんの?!」
「え?!」
ツミキが本棚の間に仁王立ちしていた。ここにはいないはずの人物の登場に、八雲は倒れてしまいたいと思った。救急車で搬送されてこの件はなかった事にしたいと。
が
そんな事は起こるはずなかった。ツミキと奏と八雲、旧館の本達がざわめきはじめた。
*
昼休みから教室に戻り、午後からの授業がはじまった。奏は受けとった封筒をそっと開けた。紙が1枚入っている。封筒と同じ薄い水色で、クローバーのイラストが描いてあった。文字に目を落とす。
―――
深々とニットキャップを被りたる少女踵(カカト)で夕暮れを蹴る
引き波が足跡さらってゆこうとも消えはしないよ君といた冬
出会うべき人がいるなら待ってみよう日差しの中に迷い出た雨
形あるものは壊れてしまうから腐敗しない心理をください
「いつかもし…」なんて思うと今日までの幸せの日々毒になるかも
―――
短歌だった。少し意外ではあったが、何度も何度も読んだ。八雲の希望と不安を詰めた言葉たちに、奏は少女の若草の香りを思い出すのだった。
つづく
学校中にクリスマス飾りが施され生徒は皆一様に浮かれていたが、今日中には撤去される寂しさもあった。八雲は昼ご飯を、自分の中では最短記録で終わらせ、トイレに行って鏡を見た。今日は前髪がはねている気がする。手で流れを整えてみるが、どうもうまくいかない。
(鏡をみたからってかわいくなるわけじゃないんだから)
そう前髪に言い聞かせて、旧館に向かう。寒いがホワイトクリスマスにはならない気候だった。旧館の正面に立つ。心臓が飛び出てきそうというよりは、手と足がふるえる感覚。寒さではなく極度の緊張である。
奏へのクリスマスプレゼントを用意した。何がいいのか奏に聞く勇気もなく、ツミキのような器用さもない。自分が用意できる精一杯のものを考えたつもりだ。奏の反応を何度も想像したが、そこに答えなど見出せるはずもなかった。
旧館に入る。人はいない。奏が来ていないことにホッとする八雲。今日はこのまま来てくれなくてもいいのにと、どこまでも弱気な自分がいた。
先日『吾輩は猫である』を落とした時の事を思い返す。ツミキにあのタイミングで見られるとは思ってもいなかった。気が緩んでいた自分に腹が立つ。ツミキが言っていた通り、八雲は猫の何もかもが嫌いであった。
だから『吾輩は猫である』は自分で選んだわけじゃない。
奏が選んだ。そう、奏の分身だった。
だが、日本文学に興味がなかったわけではなく、『月に吠える』は本当に自分が好きで買ったものである。シェイクスピアを一通り読み終え、奏と話しているうちにそっちに興味が湧いてきていたところだった。
あの事件の、後味の悪さの原因はわかっている。『吾輩は猫である』を借りたという嘘を誤魔化すために、デコデコブックカバーをかけた『月に吠える』を出してしまった自分の浅はかさ。デコデコブックカバーを自分が使っている事をツミキに見せれば、ツミキが有頂天になると思った下衆い心。幼馴染の純粋な心を、卑劣な手で穢した。
「そんなに睨んだら窓が泣くよ」
振り返ると奏が立っていた。また再び、手足が震える。それがわかったのか奏がこっちにと指で指示する。いつもの日本近代文学の棚である。八雲は少し奏との距離をとった。とったところで棚と棚の間にいるのだから、お互い手の届く範疇である。
「今日も緊張してる?」
「ちょっとだけ」
「なんでかな?」
「クリスマス、、、ですし」
「へー、僕、何か期待していいのかなぁ」
そういうと奏は八雲の持つ本を、適当に棚において、八雲を自分の胸板に隠した。
「先輩、ちょと」
「黙って」
「……」
「素直だね。キスしてって言ったらしてくれるのかな?」
はじめの目の前の奏は、なぜかいつもより綺麗だった。そしてその向こうには昨日のツミキがスパークしていた。奏にもツミキにも申し訳なさでいっぱいだった。八雲は今、自分がどんな顔でいるのかわからなかった。
「ごめん、ごめん。わがまま言っちゃったね」
「いえ、できなくて、、、なんかすみません」
「いいよ。僕がする」
今まで読んだ本にこんなこと書いてあったかなと、はじめは思った。自分とは温度の違う強引で意思を持った形が、自分のくちびるの端にあたったのだ。はじめは奏を見上げた。奏はいつになく真剣な顔をしていた。
「嫌だったかな」
「答えに、困ります」
「そう、か」
「あの、」
「何?」
「じゃ私もわがまま言います」
「うん」
「しばらくこのままで」
「いいよ」
はじめは自分を奏に預けた。すると奏の心臓の早さが自分と同じくらいのスピードで動いている事を知る。奏も自分と同じなのだとわかって、安堵した。昼休みが終わらなければいいのにと、2人と2人以外が思う12月25日の月曜日であった。
旧館を出る直前、八雲は奏にクリスマスプレゼントを渡す決意をした。それは手のひらサイズの薄い水色をした封筒であった。
「先輩、これクリスマスプレゼントなんですけど」
「ありがとう。ラブレターかな」
「いえ、そんなんじゃないんですけど」
「うれしいよ」
「じゃ、私教室にもどります」
そう言って八雲は小走りしながら、教室に着く前には平常心を取り戻さねばと必死だった。
*
昼休み、ツミキは生徒会室にいた。さやといつ飾りを撤去するか、話を詰めていた。帰りのホームルームが終わり、帰宅部から有志を募って今日中に終わらせるとの事だった。
「あんなに準備に時間かけたのにもったいないっすね」
「だから、いいんじゃない。いつまでもあったらありがたみもないってものよ」
「そう言われたら、反論できません」
バンッッッッッ!!!!!
いつもの勢いで稜珂は生徒会室に入ってきた。
「もえ、ツミキ、クリスマス終わったわね。お疲れ様。あとは片付けお願いね」
「久我、相模、3学期の行事、細部もわかるように資料作っておいてね」
そういうと踵を返して竜巻は去って行った。と思ったら、振り返り、
「ツミキ、放課後、帰宅部の人がひとりいるわよね」
と言って、鼻歌交じりに出て行った。
*
ツミキは放課後になるとすぐに八雲のところに行き、クリスマス飾りを一緒に片付けようと提案してきた。即行、はじめは断る。ツミキは食い下がったが、はじめも負けるわけにはいかなかった。
結局ツミキが折れ、ツミキが生徒会室に行ったのを確認して、はじめは旧館に急いだ。昼休みのことを思い出すと、自分が保てそうになかったので、一生懸命に思考を振り払う。
奏はもう旧館にいた。本棚の間に立って今日はやけに色気を放つ男子生徒に、八雲は黙って近づいた。旧館の本達がおしゃべりをやめる。
「プレゼントありがとう」
「あれはやっぱりプレゼントというにはふさわしくなかったような、、、」
「そんなことないよ。八雲にあんな誘い方ができるなんてね」
「えっ?!」
奏は昼休み時よりは優しく、薄い飴細工を扱うかのように八雲を抱きしめる。奏はここでしか許されない行為のすべてを八雲と共有したかった。
「八雲、聞いて」
「はい」
「今から君は僕を奏と呼ぶ。そして僕は君のくちびるにキスをする」
「あ、あの、それ昼休みにしたのでは」
「名前呼ばれてないし、あれはキスの手前だよね」
「改めて言われるとちょっと」
「はい、呼んで」
奏の色気と強引さに八雲酔わされていた。
「奏先輩」
「じゃなくて」
「か、奏」
「よくできました」
そう言って奏は右手を八雲の左頬に添える。刻一刻とその時はやってくる。奏が少し背を落とす。二人の間は、単行本シェイクスピア『テンペスト』の厚さより薄い。奏はついに、
「何、してんの?!」
「え?!」
ツミキが本棚の間に仁王立ちしていた。ここにはいないはずの人物の登場に、八雲は倒れてしまいたいと思った。救急車で搬送されてこの件はなかった事にしたいと。
が
そんな事は起こるはずなかった。ツミキと奏と八雲、旧館の本達がざわめきはじめた。
*
昼休みから教室に戻り、午後からの授業がはじまった。奏は受けとった封筒をそっと開けた。紙が1枚入っている。封筒と同じ薄い水色で、クローバーのイラストが描いてあった。文字に目を落とす。
―――
深々とニットキャップを被りたる少女踵(カカト)で夕暮れを蹴る
引き波が足跡さらってゆこうとも消えはしないよ君といた冬
出会うべき人がいるなら待ってみよう日差しの中に迷い出た雨
形あるものは壊れてしまうから腐敗しない心理をください
「いつかもし…」なんて思うと今日までの幸せの日々毒になるかも
―――
短歌だった。少し意外ではあったが、何度も何度も読んだ。八雲の希望と不安を詰めた言葉たちに、奏は少女の若草の香りを思い出すのだった。
つづく