あの日溺れた海は、

 カツカツカツ
 
予鈴が鳴って騒がしさが落ち着いた廊下に靴音が響く。
いつもはそんな音見逃していたのに、今日はやけに耳につく。その理由をわたしは知ってる。
 
 どんどん足音が大きくなるにつれてわたしの胸の音も大きくなる。
 
その足音の主が教室に入って、わたしの瞳に映った瞬間、顔が熱くなって、胸が弾んで、二つに裂けてしまいそうなくらい痛くなった。
 
無造作に流した黒髪、切長の目、白い肌に合った薄い水色のシャツに紺のスーツ。
 
 
 『好き!』
 
 そう叫びたいくらい、想いが溢れて苦しい。
 
ただ姿を見ただけなのにこんなに切なくて、ドキドキして、熱くなる。
 
 
「文化祭の準備で浮かれるのもわかりますが、節度は持つように─」
 
 
珍しくおじいちゃんに代わって朝のHRを進める先生の低い声が昨日までよりももっと鮮明に聴こえてくる。

その気怠げな声でさえ今はわたしをときめかせる。

変な感じ。昨日までの自分と同じ人間じゃないみたい。
 


朝のHRが終わるや否や、デスクに座って1時限目の数学の始まりを告げるチャイムが鳴るまで頬杖をついて外を眺める先生を、いつもなら教室内にいることすら気にかけもしないのに、今日はちらちらと目線を送ってしまう。
 
 
 外に何があるのかな。そんなに興味を惹くものがあるのかな。それともただぼーっと見つめてるだけ?何を考えているの?
 

 そう考えていると不意に先生の顔がこちらへ向き、バチリと視線がぶつかる。反射的に顔ごと逸らすと、いつの間にか先生のことをじっと見つめていた自分が恥ずかしくなって顔を赤くした。
 

そうこうしていると一時限目の予鈴が鳴った。


今日に限って、わたしたちのコースを担当してる数学の先生が休みで、藤堂先生が受け持つコースと一緒に授業をすることになっていた。


バタバタと音を立てながらみんなが席につく。わたしも慌てて机の中から数学の教科書とノートを出した。
 
 
ちらり、と様子を伺うようにこっそり先生の方へ視線を向けると、先生は立ち上がってのそのそと教壇に上がっていた。
 
 
 
 授業中も、鼓動が高まるばかりでちっとも集中できない。昨日の今日でどうしてこんなにも世界が違って見るんだろう。
 
恋って不思議。
 
 
 
 
 
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