瑠璃色の街

第10話、再会

「アイバンクへの、ご理解・ご協力をお願い致しま~す!」
 あゆみは、チラシの束と小さな募金箱を持って、道行く人々に声を掛けていた。
 真っ直ぐ前を見つめ、道行く人々に声を掛けているあゆみ……
 雑踏に、押し流されてしまいそうな感じだ。
 それでも、けなげに、声を上げている。

( あゆみちゃん・・! )

 思わず立ち止まった、幸二。
 あゆみは、人の気配を感じたのか、幸二の方を向いて言った。
「 アイバンクへの登録、ご協力をお願い致します 」
「 あ… 」
 呼びかけようとした幸二だが、ぐっと、声を飲み込んだ。
 幸二の方を向いているあゆみだが、その方向は、わずかにズレている。
 あゆみは、視線を宙に泳がしまま、続けた。
「 緑内障や、先天的疾患で目の見えない方は、とても沢山いらっしゃいます。 そんな方たちに、暖かいご支援・協力をお願い致します 」

 センターの理事長だった中田の話しでは、近々、あゆみは、手術を受けると言っていた。
 しかし、それは未だ、叶っていないらしい……
 あゆみは、今もって、盲目の身のままのようである。

 幸二は、サイフを出し、千円札を取り出すと、あゆみの持っていた募金箱に入れた。
「 あ… あ、有難うございますっ…! こ、これ… アイバンクの説明チラシです。 是非、お読み下さい 」

 まさか、募金をしてくれるとは思ってもいなかったのだろう。 慌てて、チラシを幸二に渡す、あゆみ。
 幸二は、それを受け取ると言った。
「 頑張ってね…! 」
 あゆみは、幸二に向かって、何度もお辞儀をしながら答えた。
「 有難うございます! 有難うございますっ…! 」
 幸二は、店内に入るのを止め、立ち去ろうとした。 あゆみは、何かに気付いたらしく、じっと宙を見つめている。 そして、歩き去ろうとしていた幸二の背中に向かって、言った。

「 ……幸二さん? 」

 心臓を、後から突付かれたような驚きを、幸二は感じた。
 歩き去った幸二の方へ、数歩、歩き出すあゆみ。 数人の通行人に肩を当てられながら、あゆみは言った。
「 幸二さんっ…! 待って! 幸二さんねっ? その声…! 」
 金縛りに遭ったように、幸二は、あゆみに背を向けたまま、その場に立ちすくんだ。
 …少し、あゆみを振り返る、幸二。
 一瞬、再び、声を掛けようとした幸二だが、思い留まり、やがてそのまま歩き出した。

 何と言う、巡り合わせ……!

 しかも、たった一言、言葉を交わしただけなのに、あゆみは正確に、幸二の声だと判断したのだ。
( 俺の声を、覚えていてくれたのか……! )
 幸二は、嬉しかった。
 何も、逃げ出すように立ち去らなくても良かったのかもしれない。 自然に『 やあ、久し振り! 』と、声を掛けても、問題は無かっただろう。

 ……しかし、幸二には、負い目があった。

 空き巣常習犯だった、過去の忌まわしい記憶。 そして何より、あゆみの部屋に侵入し、パソコンを盗んだのが、あゆみとの出逢いの始まりであるという事実……
 この負い目があったが為に、幸二の足は、自然にあゆみの前から立ち去らせたのだ。 知られたくない過去を持つ者、特有の行動かもしれない。

 あゆみと話せば、また、虚偽の自分を語ってしまう…… 
 いや、もしかしたら何もかも、本当の事を喋ってしまうかもしれない……!

 そんな不安が、幸二の心を占拠していた。
 …こればかりは、どうしようもない。
 消したくても消せない、過去の余殃である。

 少し歩いた幸二は、歩道に立ち止まり、あゆみのいた方を振り返った。 雑踏に紛れ、あゆみの姿は、もう確認出来ない。
 幸二は、駅の正面玄関脇にあった吸殻入れの近くでタバコを出すと、火を付けた。
( ……明日も、立っているのだろうか )
 ある意味での、期待と憂鬱。
 出逢いが、もっと自然であれば、こんなに気を使わなくても良かったはずだ。
( まさに、運命の悪戯ってヤツだな…… )
 幸二は、煙たそうに、くわえていたタバコを指で摘む。 長いままのタバコを揉み消し、幸二は、駅前を後にした。

 翌日。
 幸二は、3人の作業員と共に、屋上にいた。
「 親方。 コンクリが随分、もろいっスけど… 大丈夫っスかね? 」
 若い作業員が、幸二に言った。
 掘削したドレーン周りは、石膏のように、もろいようだ。
 幸二は言った。
「 ドレーン自体も、かなり腐食してるな… だが、まあ… 鉄製だし、ドレーン自体から漏水しているワケじゃない 」
 排水溝口辺りのコンクリート片を、手で払いのけながら幸二は続けた。
「 開口部のコンクリートが老朽化して、クラックが入ってんだ。 ドレーンに入らず、手前で、雨水が溜まっていたみたいだしな… しっかり、プライマーを塗布して、防水モルタルを密着しておけよ 」
「 分かりました 」
 …屋上の端部から、階下を見下ろす、幸二。
 昨日も見かけた、ティッシュ配りの女性たちの姿が見える。 あゆみが立っていたハンバーガーショップは、アーケードの屋根に隠れ、ここからは見えない。
( あゆみちゃん、今日もいるのだろうか…? いたら、どうしようか )
 幸二は、その日1日、屋上の作業現場で、そわそわしていた。

 5時頃、今日の作業は終了した。
 作業員を帰し、明日の作業で使う材料や道具の整理をしたあと、幸二は、作業終了の報告をする為、店内の総務部へ向かった。

「 やあ、ご苦労様です。 晴天で良かったよねえ 」
 事務所にいた担当の男性職員が、幸二に言った。
 ヘルメットを脱ぎ、額に浮いた汗を右手の甲で拭いながら、幸二は答えた。
「 随分、はかどりましたよ。 明日は、色合わせの仕上げだけですね。 階下からの苦情などは、ありませんでしたか? 」
「 大丈夫です。 何もありませんね。 落下物も無かったし 」
 幸二は、ふと、彼の机の上にあったチラシに気が付いた。 昨日、幸二が、あゆみから貰ったものと同じチラシである。
 幸二は聞いた。
「 このチラシ… いつ、貰ったんですか? 」
 男性職員は答えた。
「 …ん? ああ、それ? 今日ですよ。 入り口のトコで。 区の、介護施設の人たちから配布させてくれ、って言われていたやつですよ。 村田さん、アイバンクに興味あるの? 」
 幸二は答えた。
「 え? まあ、無いワケじゃないんですが… 知人に、盲目の方がみえましてね。 以前、厚意にして頂いていたものですから」
「 ふう~ん… 配っていたのは、まだ、若そうな女性でしたよ? 身振りからすると、その人も、目が見えないみたいだったな 」
「 そうですか… 」
 おそらく、あゆみだろう。 やはり、今日も来ていたのだ。

 事務所を出て、外に出た幸二。
 帰宅ラッシュ時と重なり、駅前歩道は、かなりの人が往来していた。 この時間ではもう、あゆみは帰った事だろう。 盲目の者が出歩くには、危険が多過ぎる。 恐らくここへも、誰かが、同伴で来ているはずだが……
 幸二は、昨日、あゆみが立っていたハンバーガーショップ辺りに、あゆみの姿を探してみた。

 ……いた! あゆみだ…! こんな時間まで、まだいたとは……

 あゆみは、チラシや募金箱を片付けながら、誰かと、携帯電話で話しをしている。
「 そうなの? 渋滞? 大丈夫よ、待ってるから。 うん… うん、分かった、気を付けてね 」
 そんな声が、幸二にも聞こえて来た。 どうやら、迎えが、渋滞で遅れているらしい。
( 車なら、安心だな )
 安堵する、幸二。
 その時、チラシを整理していたあゆみの腕を、通行人が弾いた。
「 あ…… 」
 小さな声を上げた、あゆみ。 持っていたチラシの束が、路上に落ちる。
 だが、先を急いでいたらしい通行人は、事態には気付かず、足早に立ち去って行ってしまった。
 チラシを、手探りで拾い集めようとする、あゆみ。
 しかし、盲目のあゆみには、落ちているチラシの位置が把握出来ない。 更には、チラシに気付かず、蹴飛ばして行く通行人もいる。
 幸二は、思わず駆け寄り、散らばったチラシを拾い出した。 通り掛かった年配の婦人も、事態を把握したのか、手伝い始める。
「 す、すみません、ありがとうございます……!  申し訳ありません。 ごめんなさい! 」
 婦人の方を向いて、礼を言う、あゆみ。 手は、歩道の汚れで、真っ黒だった。
( そんなに、卑屈になるな…! あゆみちゃんは、何も悪くない。 何で、謝らなければならないんだ…! )
 幸二は、チラシを拾い集めながら、心の中で叫んだ。
 婦人が言った。
「 あなた… 目が、ご不自由なのね? 大変ね。 頑張るのよ? 」
「 有難うございます。 あの… そちらの方も、申し訳ありません。 ごめんなさい 」
 幸二の気配にも気付いたらしく、あゆみは、幸二の方を向いて言った。
 婦人が、幸二に言った。
「 すみませんが、私、電車の時間がありまして… あと、お願い出来ますかしら? 」
 幸二は、「 ええ 」 と小さく答え、指でOKマークを作って婦人に見せ、心配無いというゼスチャーをした。 …声は、雑踏に消され、あゆみには聞こえなかったようだ。
 婦人は、幸二に軽く会釈をし、コンコースの方へと向かった。
「 ご親切に、有難うございます。 申し訳ありません 」
 何度も礼を言うあゆみに、幸二は、拾い集めたチラシを渡した。
 しっかりと、あゆみの手にチラシの束を掴ませる。 あゆみも、手探りで、渡されたチラシを確認するように受け取った。
 幸二は、持っていたショルダーバッグを開けた。 現場に出る時、いつも幸二は、手拭用の濡れタオルを持っている。 それを出し、あゆみの手を取ると、その手の汚れを拭き始めた。

 記憶にある、やわらかな、あゆみの手……

 あゆみは、再び、幸二に礼を言った。
「 ……あ、有難うございます。 申し訳ありません……! 」

 ……久し振りの、あゆみの手の感触。

 幸二は、手を引いて散歩した、あの公園を思い出していた。
 やわらかな、あゆみの手…… 輝く髪… 眩しい、白いシャツ……
 楽しかった想い出が、走馬灯のように、幸二の脳裏を駆け巡る。
 あゆみも、幸二の手の感触に、何かを感じたようだ。 拭き終った手で盛んに、何かを探るように、幸二の手を触っている。
「 ……! 」
 幸二は、慌てて、あゆみの手を離した。
「 じゃ… 」
 小さく、そう言い、幸二は、急いでその場を立ち去ろうとする。
 あゆみは、言った。

「 ……幸二… さん? 」

 再び、幸二の心臓は、突き刺されるような驚きに鼓動した。
 あゆみは続ける。
「 幸二さんっ! 幸二さん… なんでしょ……? 」

 ……何と、あゆみは、幸二の手の感触を覚えていたのだ……!

 幸二は、固く目を瞑り、足早に歩き始めた。
 その背中に、悲痛とも思える、あゆみの声が掛かる。

「 幸二さん…! 私です、あゆみです! どうして… どうして、行ってしまうの? 」

 …その問いには、答えられない。
 そして向き合い、話せば… その答えを、告げてしまいそうな心境の幸二だった。
 いっそ、全てを話した方が、楽になるかもしれない。
 それによって、あゆみとの関係が破綻をきたしても構わない……!

 しかし、その衝動を、幸二は、すぐに打ち消した。

( …いや、ダメだ! こんな話しで、あゆみちゃんが汚れちゃいけない…!  心打ち解けた相手が、コソ泥だったなんて…… そんな結末は、あゆみちゃんに相応しく無い。 俺は、このまま、逢わない方がいいんだ……! )

 幸二は、万感の想いを胸に秘め、雑踏の中へと消えて行った。
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