瑠璃色の街

第2話、『 AYUMI MURATA 』

 何気なく、アパート入り口に立つ。
 2階へ上がる階段の脇から、通りに面した壁の裏側が見える。 小さな屋外用物置に、洗濯竿、バケツなどが置いてあり、人の気配は無い。 伸び放題の芝がある2メートル四方くらいの広さの、続き庭だ。
( 打ってつけだな。 どうぞ侵入して下さい、と言わんばかりだぜ )
 辺りを見渡し、スルリと庭先に入る。
 幸二は、壁際にしゃがみ込んだ。

 再び、辺りを覗う……

 各部屋からの物音は一切、無いようである。
( ここからじゃ、入り口から見えるな…… )
 一番手前と、その隣の部屋は、『 作業 』が発見され易い。
 幸二は、腰をかがめ、中腰のまま、庭を奥へと進んだ。

 一番奥の部屋と、二番目の部屋の間辺りの壁際に、再びしゃがみ込む。 入るなら、このどちらかの部屋だ。
( イケそうなら両方とも入るか。 まずは、一番奥からだ )
 窓際に近寄り、部屋の中を覗く。
 カーテンが閉めてあり、中を確認する事は出来なかった。
 じっと聞き耳を立て、室内の生活音を探る……
( 何も聞こえないな。 間違い無く留守のようだ。 …よし、やるか……! )
 ポケットから小型のオイルバーナーを出し、点火した。 それで、鍵がある辺りのガラスを熱する。 しばらく熱すると「 ピシ・ピシッ 」 と、ガラスが膨張し、音を立て始めた。
( ガラスの厚さからして、このくらいで良いだろう… )
 バーナーの火を止め、水の入った小さな霧吹きをポケットから出すと、焼けたガラスに吹きかけた。
『 パシッ 』
 小さな音を立て、ガラスに、ヒビが入った。
 霧吹きをポケットに入れ、ズボンの後ろポケットに差してあったドライバーを取り出す。
 急激に冷やされたガラスは、もろくなっており、ドライバーの先で簡単に穴が開く。
 幸二は、空けた小さな穴から、鍵の取っ手部分を押し、窓を開錠した。
 
 ほとんど、何も物音を立てず、意図も簡単に窓を開けた幸二は、室内に侵入した。

 …6畳と4畳の、2DKだ。
 開けた窓を閉め、カーテンを元に戻す。
 まず、遠目では、窓が割れている事に気付く事は無い。 住人が帰って来るまでは、ゆっくりと物色が出来る。
( まあ、そんなに、ゆっくりはしないがな )
 幸二は、部屋の中を見渡した。
 家具類は少ない。 小さな机に、パソコン・洋服タンス・簡易ベッド……
( 女性の部屋か… )
 鴨居に掛けてあるハンガーに吊るされたブラウスを見ながら、幸二は推測した。
( OLか、女子大生か……? )
 OLならば、ある程度の期待が出来る。 現金の他に、貴金属類などもあるからだ。 しかし、大学生の場合、あまり期待は出来ない。 まあ、リッチな学生も、中にはいるが… このアパートから見て、大体の生活水準が推察出来る。
 幸二は、OLである事を祈りながら、洋服タンスに手を掛けた。

 部屋には、何も無かった。
 現金はおろか、貴金属類・換金可能な生活用品なども、全くと言って良いほど無かった。
( くそっ! 価値のありそうなモンと言えば、このパソコンくらいか……! )
 ノートパソコンではなく、タワー式の旧型だ。 しかも、モニターは液晶ではなく、ブラウン管である。この手のものは、恐ろしく重い。
( 手ブラで引き上げるのも悔しいし… コイツで、ガマンするか。 モニターは、やめておこう。 金にならん )
 幸二は、パソコン本体のみを持ち帰る事にした。
 窓を少し開け、外を覗う。
 誰もいない事を確認し、素早く外に出る。
( ひとまず、パソコンを車に積もう )
 隣の部屋を気にしながら、幸二は車に向かった。
 後部座席にパソコンを置き、毛布を掛ける。 ドアを閉め、再びアパートに戻ろうとした時、あの大家が、脚立と蛍光灯を持ってやって来た。
( ちっ…! )
 ポーチの蛍光灯を交換しにでも来たのだろうか。 どのみち、アパートの辺りをうろつく事には違いない。
( くそっ…! 今日は、店終いだな )
 幸二は、そのまま車に乗り込むとエンジンを掛け、その場を走り去った。
 迅速な、状況判断…… まあ、どんな場合にでも当てはまる要項だとは思うが、幸二が行っている『 行為 』には、必要不可欠な最優先課題でもあろう。 欲を出し、危険を冒すと、必ず予定以上のリスクが付いて来る。
 しかし、予定より少なかった『 獲物 』に、幸二は不満だった。 盗み出したパソコンも、このままでは金にならない。 どこかで現金に換えるか、オークションにでも出品するしかないだろう。 いずれにせよ、換金出来るのは、数日後だ。
( ディスクを、初期化しなくちゃならんな… )
 幸二は、パソコンを自宅に持ち込み、ディスクを初期化して、売却出来る状態にする事にした。

「 おや、幸ちゃん。 今日は、早いじゃないか。 半ドンだったのかい? 」
 パイプイスに腰掛けた、タエ婆さんが声を掛けて来た。
「 まあね。 …連れのパソコン、修理しようと思ってさ 」
 手に抱えていたパソコンを見せながら、とっさに、幸二は言った。
「 そうかね。 幸ちゃんは、器用だからのう~ 」

 部屋に入り、自前のモニターに接続して電源を入れる。
 立ち上がりのクレジットには、『 AYUMI MURATA 』と表示された。
( 俺と、同じ名前か… )
 ドキュメントを、クリックする。
 いくつかのフォルダがあるが、容量は、さほど無い。 ほとんどがワードデータである。
 試しに、ひとつのフォルダを開けてみた。

『 芸術は、心。
  歌や絵は、上手下手ではなく、感動を伝えようとする心。
  音楽も、そうだと思う。
  感動を伝えようとする心が、崇高なのだ 』

 冒頭に、日付がある。先週の日付だ。
( 日記か…… )
 スクロールして、次を読む。

『 今日は、雨。
  軒を打つ雨音が、静かに聴こえる。
  この音は、私に贈られた、空からの贈り物。
  そして、みんなにも贈られた、今日一日を考える為の、ワン・ブレイク。
 「 傘、どうしようかな? 」
 「 待ち合わせ、変更しなくちゃ 」
 「 明日にしよう 」
 色んな考え、色んな決断。etc…
  みんな、頑張ろうね。

( ノー天気な事、言ってるぜ、全く…… )
 タバコに火を付け、次の日の日記を読む。

『 通り過ぎる風に、季節の匂いを感じる。
  子供の頃、母に連れられて行った、遊園地。
  クルクル廻る、華やいだメリーゴーランドが、記憶に甦る。
  あの木馬たちは、今でも元気に廻っているのだろうか。
  もう一度、乗ってみたい。
  お伽の国の、少女に帰って…… 』

( 遊園地くらい、いつでも行けるだろうが。 ドラマのヒロインにでもなったつもりか?コイツ )
 幸二は、明日をも知れぬ我が身と比べ、何の不自由も無く生活している日記の作者に対し、勝手ながら少々、腹が立って来る感覚を覚えた。

『 今日は、何回、笑ったかな?
  明日は、どんな日だろう。
  どんな出逢いがあるのかな?
  私は、今日を生きている。
  そして、明日という日を生きる 』

( 悲劇のヒロインのつもりだな。 ったく、いい気なモンだ )

『 翻訳の仕事って、ホントに疲れる。
  でも、私の翻訳した文章で、未来に希望を灯す人たちが存在する。
  頑張ろう。
  私は、まだ良い。
  自分で歩けるし、耳が聞こえるし、喋れるのだから 』

 この日の日記を読んで幸二は、少し気になった。
 …どうやら、この日記の作者は、何かの翻訳を仕事としているらしい。
 だが、『 私は、まだ良い 』とは、どういう意味なのだろう。 どこか、体が不自由なのだろうか?
 疑問を抱きながら、幸二は、次の日の日記に進んだ。

『 新見さんが結婚する。
  来年の春だ。 おめでとう。
  障害者同士の結婚は、何かと大変だとは思うけど、二人で力を合わせて、
  お幸せにね。
  明日は、日曜。
  部屋の掃除をしなくっちゃ。
  午後から、センターの大原さんが遊びに来る。彼女は、きれい好きだものね。
  私は目が見えないから、綿クズが落ちていても分からない。
  普段から、こまめに掃除はしているけど、やっぱり不安だな 』

( …目が、見えない…? この…『 あゆみ 』とかいう女性は、目が見えないのか……! )

 幸二は、愕然となった。 長くなったタバコの灰が、ポロリと床に落ちる。
( 翻訳… そうか、点字だ…! 彼女は、点字の翻訳をしているんだ )
 この日記は、パソコンの練習の為にでも書いているのだろう。 目が見えないのなら自分では読めない訳だから、日記をつけても意味が無い。 それにしては誤字・脱字も無く、きれいに打ってある。
( 詩的な文章が多いのは、目が見えないからなのか… )
 道理で、簡素な部屋だった。 女性が住んでいるとは思えないくらいの、殺風景な部屋だった……

( このパソコンは、返そう…! )

 幸二は、そう思った。
 盲目の女性から、大切な商売道具は盗れない。
 幸二は、知らぬとは言え、侵入してしまった自分が恥ずかしくなった。 いや… 空き巣をしている事自体、最低な人間だとは思うが、この彼女からモノを奪うと言う事は、それ以上に、人として、その存在理由すら問われかねない行為であるように、幸二には思えたのだ。
( 俺だって、人間の心を持ってんだ。 寝ている重病人の布団を剥いで持って行くようなマネ、したくねえし )
 幸二は、アプリケーションを終了し、パソコンの電源を切った。
( 悪い事、しちまったな。 どうやって返そう…… )
 ここ数年、幾多の人に、多大な迷惑を掛けて来た。 しかし、今回ばかりは特別だ。 最初は、苦労知らずの女性が書いた文章だ、と思っていた。 ところが、彼女は目が見えない。 自分は、そんな社会弱者の部屋に、空き巣に入ったのだ。 しかも、彼女にとって一番大切であると思われる道具を盗んで……
( …最低だ。 俺は、やっぱり最低の人間だ…! )
 閉め切った、薄暗い部屋の中…… 幸二は、その後、いつまでも自分を責めていた。
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