バカ恋ばなし
8:00を過ぎたところで、看護部長と各病棟師長達がゾロゾロと講堂に入ってきた。
「みなさん、おはようございます!」
看護部長が朝らしく爽やかな笑顔と張った声で挨拶をしてきた。私たちはそれとは真逆な感じに暗く小さな声で「……まーす。」と微かな挨拶で返した。
「なんだか元気ないわねえ~。これから皆さんは正式に病棟配属となる初日なんだから、もっと元気よく、胸張っていきましょうよ!ね!」
看護部長は緊張のあまり元気ない感じの私たちを見て、更に爽やかな笑顔で講堂の奥まで通るようなハキハキとした声で言ってきた。
(今から地獄が始まるっていうのに、元気に胸張っていけるかよ……。)
私は心の奥底で吐き捨てるように呟いた。
「それでは、各病棟の師長を紹介します。うちの看護学校出身者は大体わかるとは思うけど、中には別の看護学校や医療機関から就職した人もいるので、改めて紹介します。さあ師長さんたちは前に並んで!」
看護部長の指示で各病棟師長達がゾロゾロと前に並んだ。看護部長が師長一人ひとりを紹介していった。
「産婦人科病棟の前田師長です。」
「前田です。」
前田師長は軽く笑みを浮かべながら一礼した。
(今日から私のボスになる人だ……何だか怖そう……。)
私は前田師長を上目遣いで見ながら心の奥底で呟いた。前田師長は、職歴30年の超ベテラン助産師で、看護学校1年生のときに産婦人科看護の講義を担当しており、講義中によく「私は4人の子供を育てたのよ。」「結婚して4人の子育てをするのはとてつもなく大変だったけどね、女性としての人生の中ではいちばんやりがいがあったわね。」と、爽やかな笑顔で自慢げに語っていた。
「前田師長って、4人もの子供の子育てをして、きっといいお母さんなんだね。」
「子育てしてお母さん業もこなしつつ今も師長として、助産師として第一線でがんばっているなんて、凄いよね。」
同級生みんなで前田師長について好印象を抱いていた。
(きっと病棟でも職員から好かれるイイ師長さんなんだろうなぁ。)
しかし3年生になって臨床実習が始まり、産婦人科病棟へ実習に行った同級生からは
「あの前田師長って病棟では講義に来ていたときとは全然違うんだよね。」
「前田師長って、講義の時と違って怖いんだよ。」
と口々に囁かれていた。実際私が実習で病棟に行くと、前田師長は常に眉間に皺を寄せて険しい表情を浮かべており、寡黙でとても話しかけづらい印象を醸し出していた。分娩の最中だけは講義の時みたいにハキハキした声で「はい、がんばってー!」と妊婦を励ましていた。
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