魔力を失った少女は婚約者から逃亡する
「そしてこちらは、この子の回復薬です」
 レインが言うこの子とは、トラヴィスの愛馬のことだろう。そう言った表現も愛らしい。

 トラヴィスは軽く唇にキスをするが、なぜかレインが顔を赤くする。誰も見てはいない、と言うのに。昨日はもっと深い口づけを交わしたというのに。

「トラヴィス様」

 それを誤魔化すかのように、彼の名を呼ぶ。

「くれぐれも、くれぐれも」
 二回言った。大事なことのようだ。
「書類は溜めないで、すぐに処理してください。いいですね、わかりましたか? 返事は?」

「はい……」

 やはり彼女はレインだった。

「トラヴィス様は、やればできるんですから。ほんとに、もう、興味のないことはとことん後伸ばしにするか、やらないか、ですよね」

「ご指摘の通りです」
 その通りなので、言い訳のしようがない。

「トラヴィス様」
 そこでレインが背伸びをしてきたため、トラヴィスは少し身をかがめた。彼女の唇が軽く頬に触れる。これはこれで、いいかもしれない。

「レイン」

 目を見開き、彼女を熱く見つめるが。

「もうおしましいです。これ以上は離れられなくなってしまいますから。あと、その書類は、きちんとお兄様に渡してくださいね。お兄様にビリビリに破かれないように、きちんとした態度をとってくださいね」

「わかった」
 トラヴィスは軽く彼女を抱きしめてから、馬に乗った。
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