冷徹皇太子のメイド様!-私はクソ地味眼鏡なんです!-
 殿下のメイドに任命されてはじめての朝が来た。いつものように手早く準備をする。メイドに無駄にできる時間なんてない。一分一秒が命取りになる。
 昨日急いで直した支給品の服に袖を通す。流石にぼろぼろな服を着ていくわけにはいかなかった。面談の時とは話が違う。私にもそれなりにプロ意識はある。
 配属先が変わってもやはりやる事は変わらない。皇宮のメイドから皇太子付きのメイドになったとしてもやる事は変わらない。そう自分に言い聞かせて重い足を引きずる。
 早朝の皇宮を抜けて執務室へと向かう。若干の霞がかかった辺は静まりかえっている。時折箒をで掃く音が聞こえる。この時間から動いているのは早番のメイドだけだろう。
 殿下からは「執務室に来い」と言われただけだった。仕事内容は聞かされていない。普通、皇室の方に仕える時は、殿下の好み、公務のスケジュール、日課などを詳しく勉強する研修というものがあるものだ。
 しかし、私は配属されてからすぐに仕事となった。それだけ人が足りないのだろうか。いた、皇宮にはありとあらゆる家門のメイドがいる。それならばメイドなぞ選び放題ではないか。少し不思議に思う。
 扉を叩いたが、返答はなかった。まだ殿下はお出でになられていないようだ。ゆっくりと扉を開けて中に入る。
 残忍な皇太子の執務室は案外、綺麗に整頓されていた。聞くところによるとエリク殿下はあまり、いやかなりの人嫌いで部屋の掃除も最低限にしているらしい。それにしては整っている部屋だ。あの殿下が自ら掃除でもしているのだろうか。
 その姿を想像してしまった。いけない、いけない。自分の意思ではないとしても、殿下のメイドとなったのだ。仕事はしなければならない。粗相があったら、文字通り首が飛ぶ。
 私はそう思い直し、箒を手に執務室の掃除を始めた。


 掃除をして、どれぐらいが経っただろうか。未だにこの部屋の主人は現れない。いよいよ掃除する箇所がなくなってきた。待つことには慣れているが、待つのにも限界があるというもの。静かな執務室で待ち続けるのも辛い。時折廊下で人の足音が聞こえてくるが、ここに入ってくる人間はいない。
 あくびが出てしまう。流石に眠くなってきた。朝の何時からここにいると思っているのか。もう帰って他の仕事をした方がいいのかもしれない。だがあの殿下がいつ来るかもわからない中で帰るわけにはいかない。
 そんな時、がちゃりと扉を開ける音が響いた。驚いてすぐさま顔をあげる。
「殿下、おはようございます。」
「…うん?誰だお前は?俺の部屋で何をしている。」
「…ナタリアでございます。昨日より殿下付きのメイドに任命されました。」
 伊達にメイドをやってきたわけではない。これぐらいのこと、笑顔で返してこそ一流のメイドだ。
「フン、そうだったな。それで、お前は何をしていたんだ。」
「任命されて初めての出勤日でございましたので、特にこれといった事はしておりません。」
「そうか。」
 会話もそこそこに殿下が書類が溜まった机の前に座り、一枚一枚目を通す。私には目もくれないらしい。
 これでは仕事内容がわからない。本来ならメイドが主人に話しかける事はあってはならないのだが、もう三時間近く待っていることもあって、耐えきれなかった。
「あの、殿下。発言してもよろしいでしょうか。」
「ああ、言ってみろ。」
「私は何をすればいいでしょうか。」
「そんなこともわからないのか。お前は思ったより使えないな。…そうだな。本棚の整理でもしておけ。」
「それはすでに済ませております。」
「なに?」
 今度は殿下が驚いた顔でこちらを見る。読んでいた書類を置いて、本棚の前で一つ一つ確認し始めた。
 内心穏やかではない。ミスが見つかったらすぐにでも一家全員死刑、なんてこともありうる。暇すぎて何度も確認したからミスはないはず。ビクビクしながら殿下の反応を伺う。
「…確かに、整理されているな。」
「はい。どこかお気じ召されないところがありましたらお申し付けください。」
「いや、特に何もない。それなら掃除しろ。」
「それも済ませておきました。」
「なんだと。」
 殿下がまたもや驚いた顔をした。念入りにチェックをするように執務室をぐるぐるとまわる殿下はちょっとしたミスでも怒鳴りつけてくるメイド長に似ている。
 殿下は掃除された部屋を見て回ると、書類の山の前に戻っていった。腕を組み何やら難しそうな顔をしている。
「あの、殿下?」
「お前は何時からここにいる。これだけの仕事は数分でできるはずもない。」
「えっと、六時にはすでにいたと思います。」
「なぜそんなに早い時間からいるんだ。俺は九時に来るというのに。」
「それは、その…殿下から『明日から執務室に来るように』と申し付けられましたが、何時にお伺いすればよろしいのか分からなくて…それで早番の時間に伺ったのです。」
「かと言って、こんなに早い時間に来る事はないだろう。俺の予定を知らないわけでもないのだから。」
「申し訳ございません。殿下の予定を聞いておりませんでした。」
「メイド長からなにも聞いてないのか。」
「いえ、『殿下に精一杯仕えるように』と言われました。」
「そうではない。」
 端正な顔立ちがさらに不機嫌そうに歪んだ。
「あの女、俺の命令を聞けないとは一体どういう了見だ…クソ。」
 なんだか皇室の方が使ってはいけないような言葉が聞こえてきたが、今は聞かなかったことにした。
「お前、今から俺の一日の予定を言うから覚えておけ。」
「は、はい!」
 そう言われて私はいそいそとメモ帳を取り出した。何も書かれていないページを見つけて、殿下が話す予定を書き込む。分刻みで組まれているスケジュールはまさに皇太子のそれであり、皇太子も大変だなーと他人事ながら思ってしまった。
「それが大体の日課だ。行事などが入るとまた変わってくるが、臨機応変に対応しろ。」
「はい、かしこまりました。」
 殿下は内容を言い終わると、書類の山に手を伸ばした。そのまま読み込む。
 私は特に何も言われていないので静かに殿下の横に立っていることにした。お付きのメイドとはこういったものなのだろう。皇宮を駆け回って掃除をしていたのが昨日のことなのに、とても恋しく思う。それだけ、何もせずただ立っているのは退屈だった。
「…いつまで立っているつもりだ。」
「え?」
「いつまでそんなところで突っ立っているつもりだと聞いている。」
「は、はい。申し訳ございません。…えと、何か御用でしょうか。」
「用がなければお前は動けないのか。」
「その、殿下は今執務中でございますし、昼食までこちらに居られるとのことですので、私もそれまで殿下のお側で控えさせて頂こうと思いまして…」
 ぎろりと睨まれて、口が早くなる。眼鏡をかけているからあまりわからないだろうが、私の顔は滝のような汗でびっしょりだ。
 とにかく殿下の機嫌を損ねないように、この場を乗り切る方法を考える。とにかく殺されないように、クビにされないように。
「お邪魔でしたら、今回は下がらせて頂こうかと…」
「邪魔なんて一言も言っていない。メイドとは主人の横に突っ立っているものなのか?」
「特に命令がなければそういうものだと思います。
「はぁ…わかった。では紅茶を淹れてこい。」
「かしこまりました。お好きな茶葉はございますか?」
「…特にない。お前の好きにしろ。」
「かしこまりました。」
 そう言われて、執務室から出る。もう何の汗なのかもわからない汗を拭った。
 全く心臓に悪い。あのまま殿下じ睨まれ続けていればきっと凍りついていただろう。本当に恐ろしい。
 厨房には昼食の準備で忙しそうにしているシェフたちがいた。私はそんな彼らの横で紅茶の用意をする。彼らからすれば偉い迷惑だとは思うが、これも私の命に関わることなのだ。
 茶葉とお湯をポットに入れ、蒸らす。紅茶は茶葉だけが美味しくても淹れる過程で台無しになってしまうのでも丁寧にする。辺りに良い香りが漂ってきた。
 ワゴンに適当な菓子と紅茶の入ったポットとティーセットを乗せて再び執務室の扉を開ける。相変わらず眉間に皺を寄せ怖い顔をした殿下がいた。
「殿下、紅茶のご用意ができました。」
「ここにおけ。」
 殿下は私の方をちらりとも見ずに書類に向かっている。メイドなんて目にも入らないか。当たり前のことだが、いい気はしない。冷徹と評される殿下に殺されないだけマシか。そう思い、私は静かに紅茶を用意した。
「ご苦労。」
 我ながら完璧に淹れられた紅茶を差し出す。ふんわりと香る紅茶が殿下の口に運ばれた。これで機嫌も少しは良くなるだろう。そう思って殿下の反応を待った。
 しかし、待っていたのは予想外の反応だった。
「…お前、この紅茶はなんだ?」
 殿下の目が一瞬開かれて、すぐに私に向けられる。一体どうしたのか。わけもわからず固まっている私を、エリク殿下は険しい目で見つめる。
「まさかお前が、いやそんなはずはない…だがこれは…」
「で、殿下?お気に召されなかったでしょうか?そうであるなら今すぐ違うものを…」
「そうではない。」
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