クールな社長は政略結婚したウブな妻を包容愛で満たす
『ここには、もういられない…。』
理江と柊哉が義母公認の関係なら、なおさら和優は必要ないではないか。
和優は部屋に戻ると、小さなスーツケースに荷物を詰め始めた。
いつだったか、柊哉と出かける準備をした時の幸福感はすでに無い。
あれこれと複雑に乱れる心のまま、着替えや化粧品や薬を詰め込んだ。
手紙を書く気にはならなかったので、メモ書きだけを残した。
ひと口のワインに酔って、こんな行動に出たとしか思えないが
どうにも止まらなかった。
片付けて、片付けて、何もかも…しまい込む。
眠らずに、部屋を片付けたり着換えたりしていると、朝5時になってしまった。
タクシーを呼んだ。
足音を立てずに一階に降りた。
タクシーを屋敷へ入れる為、キッチンにある開門のボタンを押した。
玄関に向かうと、背後に人の気配がした。振り向くと、田辺が立っていた。
和優は人差し指を立てて唇にあて、『内緒にしてね』という気持ちを伝えた。
田辺は迷っている様だ。
柊哉を起こすべきか…和優を止めるべきか…。
和優は首を横に振った。
『誰にも言わないで』
田辺はついに頷いた。気持ちが伝わったのだろう。
『あ・り・が・と・う』
今度は和優が大きく口を動かして、気持ちを伝えようとした。
表情が動きにくい和優に出来る、精一杯の感謝の印だ。
田辺はコクコクと頷いている。
門から入ってくるタクシーの音がした。
そして…和優は、松濤の家をついに出て行った。