貯金500万円の使い方
<3日目>
いつも通り、僕は6時にバスケットコートにやってきた。
だけどそこに、舞花の姿はなかった。
僕はそわそわとしながら荷物を置いて、靴ひもを結びなおして、ストレッチをして……何とか胸のざわめきを抑えようとした。
ゴールと向き合って、何度か地面にボールを打ち付けたとき、ざざっという砂利を滑るような音がした。
その音の方に視線をやると、息を切らした舞花が立っていた。
「おはよう」
息を弾ませながらも舞花は律義に僕に挨拶をした。
爽やかな白色の半そでTシャツとベージュのハーフパンツからは、すらっとした手足が伸びていた。
「おにぎり作るのに時間かかっちゃって。はい、これ」
そう言いながら舞花は小さな青色の保冷バッグを僕に差し出した。
今日も高い位置で髪を一つに結んでいて、舞花が息をするたびに、毛先がさらさらと揺れた。
きつくまとまった髪の毛の隙間からは地肌が見えていて、汗がじんわりとにじんでいる。
露わになった首筋を流れる汗が太陽の光にきらきらと輝いては、鎖骨や胸の方に流れ落ちていく。
「あ、ありがとう」
僕はぎこちなく返事をした。
だけど本当は、ほっとした。
今日も舞花に会えたから。
そして、舞花が作ったおにぎりが食べられることへの嬉しさや期待で、胸が高鳴っていた。
「食べていい?」
「え? もう?」
「だってせっかく作ってきてくれたし」
そう言いながらベンチに腰を下ろして、僕は早速、舞花から受け取った保冷バッグを開けた。
中には、かわいらしいデザインのアルミホイルでくるんだおにぎりが二つ入っていた。
そこで僕は「ん?」と思った。
「ふたつ?」
「うん。鮭と梅干し。あれ? 足りなかった?」
「いや、桜井さんの分は?」
「え?」
「俺はてっきり、一緒に食べるのかと……」
そこまで言って、「あーーーーっ」という舞花の声が静けさの中に響いた。
「自分の分、忘れた」
眉を思いっきり八の字にした舞花は、あわあわとなった。
その姿がかわいくて、僕は頬を緩めずにはいられなかった。
保冷バッグの中に並んだ、ふたつのおにぎり。
僕はその二つをそっと取り出した。
僕が握るおにぎりよりもずっと大きくて、丸くて、重い。
「どっちがいい?」
「……え? えっ、いいよ。柏原君のために作ったんだから。両方食べて」
「いいじゃん。俺は一緒に食べるつもりでいたんだから」
舞花の表情はわかりやすい。
申し訳なさと、嬉しさとで、泣き出しそうな顔。
その表情の懐かしさに、僕の心が一気にじんとなる。
「どっちにする?」
僕はもう一度聞いた。
「じゃあ、鮭」
「えっと……どっちだろう」
「えっと……どっちだったかな」
苦笑いをしながら頬を掻く舞花と目が合った。
おかしくて、僕たちは笑い合った。
「開けてみようか」
僕はおにぎりの一つを手元に残して、アルミホイルをはがしていく。
中から出てきたのは、海苔が一面に貼られた丸いおにぎりだった。
僕の手元を神妙な顔つきで覗き込む舞花から、今日も甘い匂いが漂ってくる。
僕はその匂いに緊張しながら、ゆっくりとおにぎりを割った。
「あ、こっちが鮭だったね」
「うん、じゃあ、こっちどうぞ」
僕は丁寧にアルミホイルを戻して舞花に渡した。
そしてもう一つのおにぎりを手に取ってアルミホイルをはがすと、また同じように海苔で覆われた丸いおにぎりが顔を出す。
「じゃあ、いただきます」
しっかり握られたおにぎりは、その見た目よりも歯ごたえが柔らかで、口の中で米粒がほろほろと崩れていく。
口から離したおにぎりをみると、海苔の下から赤紫色に染まったお米が顔を出す。
ところどころに梅肉としそと鰹節らしき茶色いものがちらちらと見えた。
「うんまっ」
「ほんと? よかった」
「梅干しと混ぜてるんだ。あとこれは、鰹節?」
「うん、そうそう。おばあちゃんに教えてもらったんだ。
私、実はおにぎりって作ったことなくて。
あっ、私ね、今、おばあちゃん家に泊まりに来てて……」
「そうなんだ」
僕は舞花のおにぎりの中身も気になって、何気なく相槌を打つのと同時に、舞花が小さくかじったおにぎりの中をちらりと見た。
海苔が覆っていたのは、鮮やかなオレンジ色に染めあげられたおにぎりだった。
「そっちもうまそう」
「え? ああ、こっちも食べる?」
「いいの?」
「うん、どうぞ?」
そう言いながら、舞花は自分のおにぎりを僕の目の前に差し出す。
僕はそれを、差し出されたまま無意識にパクリと頬張った。
「おおっ、こっちもうまい。チーズ入ってる?」
「うん、入ってる。すごい、わかるの?」
「チーズめっちゃ好きだから」
「ほんと? 交換する? どっちが好きだった?」
「うーん、俺は梅かな。桜井さんもこっち食べてみる?」
「じゃあ、一口」
舞花は僕が指しだしたおにぎりを小さくかじった。
「うん、おいしい」
「どっちが好き?」
「私は、鮭かな」
僕たちはそのまま食べ進める。
だけど、終始無言だった。
変な気まずさが、僕たちの間に漂う。
たぶん同じことを思っていたんだ。
舞花のあからさまな表情や態度の変化で僕はそれに気づいたんだけど。
つまり、これって、間接キス……になる。
そう思ったとたん、耳の辺りがかあっと熱くなってきた。