貯金500万円の使い方
そこには歩美の実家があった。
僕たちは共働きだったので、保育園の送り迎えをお願いしたり、その後の舞花の世話もしてもらっていた。
時には習い事の送迎や付き添いをお願いしたりもした。
そもそもそこに住み始めたのだって、子どもができたときに義両親の援助が受けやすく都合がいいというのがあったからだ。
義両親はおっとりとして穏やかな人たちだった。
僕にもいつも良くしてくれたし、気さくで話しやすかった。
だから覚悟はしていたけど、舞花を甘やかす傾向があった。
歩美が与えないようにしていたおやつをこっそりあげたり、テレビを見せっぱなしにしたり、夕方ごろから昼寝をさせたり。
ありがたいとは思いつつ、その行為は歩美にとってス次第にストレスになっていった。
こんなことが続けば、舞花はダメになる。
甘やかされて、何もできない子になってしまう。
わがままな子になる。
穏やかな両親とは反対に、歩美は子育てに対して厳しかった。
この義両親の血を受け継いでいるとは思えないほど、考え方も教育方針も全く違っていた。
歩美の不安や心配が日に日に増して、我慢が頂点に達したのは、お義母さんが何気なく言った一言だった。
「舞花がかわいそうだよ」
小さな声でぽつりとこぼれた一言を、歩美は聞き逃さなかった。
舞花にかわいそうな思いをさせたことなんてない。
むしろ、いつだって舞花のことを考えている。
舞花のためを思って生きている。
仕事だって習い事だって、全部舞花のため。
舞花を何不自由なく育てるために、安心した将来を見つめられるように、自分たちが今頑張らないといけないんだ。
僕は歩美のそんな熱意を感じ取っていたし、僕も同じ気持ちだった。
義両親には感謝しているけど、そんなことを言われる筋合いはないと思った。
賃貸マンションに住んでいた僕たちは、いずれ一軒家を構えるつもりだった。
目星をつけていた場所で建売物件が見つかって、僕たちは迷いなく引っ越しを決めた。
舞花は小学四年生になる年だったから、もう留守番だって一人でできるだろうし、習い事も駅前方面の教室に変えれば一人でも行けるだろうし、もう実家の手助けは必要ないと僕たちは判断した。
__自分たちの育児を貫く。
そんな勇ましいことを言って、義両親からの援助を絶った。
ここに引っ越してきてから、義両親に会うことはめっきり少なくなった。
正月と舞花の誕生日には顔を出した。
その時には義両親も舞花が喜びそうなプレゼントを買って用意してくれていた。
だけど歩美は、それを快く思っていなかった。
それを察した義両親は、あらかじめ舞花に欲しいものを聞くようになった。
それでも歩美は気に入らなかった。
__「勉強の妨げになるから」
__「こういうので遊ぶ歳じゃないでしょ?」
歩美は両親が舞花のためにしてやること、舞花のために与えるもの、全てが気に入らなかったのだ。
いつしか「好きなものを買うように」と現金を包んで渡されるようになった。
だけど僕たちがその現金を使うことはなかった。
すべて貯金に回したからだ。
お年玉も、誕生日も。
そしてそれは今、500万円の一部となっている。