忘れたとは言わせない。〜エリートドクターと再会したら、溺愛が始まりました〜
落胆こそしたものの、傑のさっぱりとした性格は楽だし嫌いではなかったため、そのまま友達付き合いは変わらずに続いた。
ふとした拍子で俺が二階堂の跡取りだと知った時、傑は満面の笑みで
"すげぇな!じゃあそのうち俺とお前は同僚かあ!……あ?でもそうなると、いずれ俺はお前の部下になんのか?マジかよ"
ゲラゲラ笑って、"その時はよろしくな。すぐに追いつくから"と、肩をポンと叩かれた。
それからというもの、それぞれが毎日勉強を続けつつ実習を重ね、国家試験に受かり卒業した後は併設の大学病院で研修医として働いた。
数年後に海外の医療を学ぶため、俺と傑は揃って渡米した。
病院は別だったものの、俺が向かった先には有名な外科医が。傑が向かった先にも有名な脳外科医がいた。
国家試験に受かった頃にはお互い進む専門分野は決めていたため、そこに向かって一直線だった。
アメリカでは、どんな医者も一流の技術を持っていたと思う。
特に俺が師事したドクターは、アメリカでも随一の技術を誇る名医だった。
その技術をどうにか学んで盗もうと、必死にくらいついていった。
俺は最初、医者になることが当たり前だと思っていたから目指しただけだった。
医者になることが一つのゴールとして考えており、その後の展望は全くなかった。
しかし、アメリカでも医師免許を取得して実際に医療の最前線で名医から学びながら医者として日々戦うようになり、段々と意識が変わっていった。
俺の知識で、俺の技量で、俺の努力で、命が助かるかもしれない人がいる。
力不足のあの頃の俺がそんなことを言うのも烏滸がましいが、俺は人の命を救うことができるのだ。
その資格を持っているのだ。
当たり前のことだが、俺はそれに改めて気が付いた。どこか、目の前が開けた気分だった。
それはとても恐れ多くて。でもとても誇らしくて。だけど救うことは失うことと紙一重で。それを考えるととても苦しい。
最初は漠然とした思いだったものが、次第にどんどん膨らんでいって。
患者やその家族から"ありがとう"という言葉と、笑顔を取り戻したその顔を見ると感情が混濁して、どうしようもなく胸が締め付けられるようだった。
こんな半端な気持ちで医者になったことを恥じ、それと同時に大切なことに気づかせてくれたことに感謝した。
人を助けることは、こんなにも心が温かくなることなのだ。
もちろん必ず助けられるわけではないし、時には自分の腕に失望して涙を流すこともある。責められることもある。
それでも、その数倍多く投げかけられる"先生、ありがとう"という感謝の言葉が、いつの間にか俺を確かに医者にしてくれていた。