嘘は溺愛のはじまり
「美味しいケーキを買ってきたの。結麻さんと一緒にいただこうと思って」
――伊吹さんのいない夜を過ごした翌日の午後、つまり土曜日の午後のこと。
伊吹さんのお母様が、突然尋ねて来た。
「きっと結麻さんがひとりで退屈してるだろうと思って」
にっこり微笑むお母様は、小さなケーキの箱を手にしている。
この界隈でも有名な洋菓子店のものを買ってきてくれたらしい。
会社の女性陣にも大人気の、噂のケーキだ。
実はちょっと食べてみたいと思っていたところだから、とっても嬉しい。
「主人も伊吹と一緒にシンガポールでしょ? 実は私も退屈で……」
そう言って、お母様はふふっと優しく笑う。
結婚してもう何十年も一緒にいらっしゃるはずなのに、とても仲が良いご夫婦なんだなぁ、羨ましい。
「どう? お仕事も、伊吹との生活も。もう慣れた?」
「はい、おかげさまで、なんとかやっています」
「伊吹に意地悪されてない? 嫌なことはちゃんと言ってる?」
「あ、の、意地悪はされていませんし、嫌なことも、無いです」
「……そう?」
「はい」
伊吹さんのことを意地悪だと思うとすれば、私が思わず勘違いしてしまいそうになるぐらい優しいことぐらいだ。
だけど、優しいことを意地悪だと感じてしまうだなんて、それは贅沢というものだろう。
ほっとしたように目尻を下げて微笑むお母様に、私も少しほっとする。
伊吹さんと同じく、とても優しくて暖かい方だ。
……当たり前か、伊吹さんを生み育てた方、だものね。