嘘は溺愛のはじまり
その人は名前を“篠宮 伊吹(しのみや いぶき)”と名乗り、とても洗練された優雅な仕草で私に一枚の名刺を差し出した。
おずおずとそれを受け取った私は、手渡された小さな紙に目を落とす。
大手商社として広く知られる篠宮商事の専務取締役をしている、らしい。
篠宮家の御曹司と言うこと、だよね……?
どうりで上等な身なりなうえに優雅な身のこなしなはずだ。
「マスターから聞いたと思いますが、役員秘書のお手伝いをしてくれる人を探しています。いかがですか? 何か条件があるようでしたら、出来る限り考慮します」
条件……?
いやいや、条件なんてそんなことを私から言うだなんて、おそれ多すぎる!
「住む場所も同時に確保したかったんですが……。そちらは少しだけ待ってもらっても良いですか?」
「あっ、はいっ。と言うか、住む場所まで探して下さってるんですか?」
「マンションの下の階で空き部屋が出そうなので、当面はそちらを、と思っています」
「えっ、あの……」
「はい?」
「えっと……その、家賃がお高いのでは……?」
篠宮家の御曹司が住むマンションだ、きっと高級マンションに違いない。
そんなマンションの一室の家賃を想像して、私は思わず気が遠くなった。