嘘は溺愛のはじまり
片瀬さんはこちらに一切視線も向けないで、そう言い放った。
実際、確かにかなり忙しそうだ。
……仕方なく私は「分かりました、お忙しいところお邪魔して、すみませんでした」と言って、頭を下げた。
来年度は会社設立以来の大きな節目の年とあって、ちょっとした記念誌を発行することになっているのは私も知っていた。
その発行を広報部と総務部が取り仕切っていることも。
だから忙しいのは分かるけど……内線で話した時に言ってくれれば良いのにな。
心の中でひっそりとため息を吐きながら総務部を離れようとしたところで、「それ、僕が見ようか?」と背後から声を掛けられた。
声の主は、谷川総務部長だ。
「……あ、いえ、大丈夫です、」
「急ぐんじゃないの?」
「えっと、今週中と言われていますけど、」
「じゃあ僕が教えるから」
あっち、行こう――そう言って、谷川部長が私の腕を掴んだ。
「あ、の、……っ」
一気に血の気が引くのが分かる。
谷川部長が向かっているのは、以前、入社したばかりの時に奥瀬くんに書類を提出した時に使った、あの打ち合わせ室だ。
だ、大丈夫、あそこは、半透明になっているし……。
それよりも、掴んでいる腕を離して欲しくて、私は「あの、部長、手を、」と途中まで言ったところで、更に強く掴まれた。