嘘は溺愛のはじまり
「結麻さん、おかえりなさい」
「ただいま帰りました。……あの、今日は急に、すみませんでした」
「いえいえ。野村さんと一緒だったんでしょう? たまには同僚と食事に行くのも良いと思いますよ」
「……はい」
「ただ……」
「……?」
「迎えに行ったのに」
「……え?」
「遅い時間にひとり夜の街を歩いて帰ってくるとか、俺の心臓がもたない。今度から迎えに行くから、連絡して」
「……えっと、」
駅から歩いて数分しかかからないから大丈夫です、と答えようとする前に「反論は聞かないからね」と返され、私は思わず口をパクパクさせてしまった。
伊吹さんはふわりと微笑みながら私に一歩近づくと、いつものように私の手を取る。
スルリと指を絡ませて、満足したような表情で私を見つめていた。
……どうしてこの人は、私のことをこんな風に丁寧に扱おうとするんだろう。
そりゃあ、お母様の前で演技をするために少しはこう言うことも必要なのかも知れないけど、本物の恋人なんかじゃないから、普段からここまでする必要があるだろうか。
そう思うけれど……彼の手を振り払うことなんて私には到底出来ない。
たとえ本物の関係でなくても、いまこの一瞬だけだったとしても、伊吹さんと一緒にいられて、こんなに近くに存在できて、触れることが出来る……。
こんなしあわせを、自ら手放せるわけなんか、ない……。
愚かだと分かっているけれど……。
伊吹さんに手を引かれ、リビングへと向かうと――